107
元号名
文治 ぶんじ
始期
元暦2年8月14日
1185年9月9日
終期
文治6年4月11日
1190年5月16日
年数
6年
天皇名
第82代 後鳥羽天皇 ごとばてんのう
在位
寿永2年8月20日-建久9年1月11日
1183年9月8日-1198年2月18日
改元理由
火災
文治地震
由来・出典
「礼記」祭法
礼記(らいき)とは、古代中国の経書。
湯以寛治民、而除其虐、文王以文治
108
元号名
建久 けんきゅう
始期
文治6年4月11日
1190年5月16日
終期
建久10年4月27日
1199年5月23日
年数
10年
天皇名
第82代 後鳥羽天皇 ごとばてんのう
在位
寿永2年8月20日-建久9年1月11日
1183年9月8日-1198年2月18日
天皇名
第83代 土御門天皇 つちみかどてんのう
在位
建久9年1月11日-承元4年11月25日
1198年2月18日-1210年12月12日
改元理由
三合の厄(さんごうのやく / 暦の上で一年に大歳・太陰・客気の三神が合することで大凶とし、この年は天災、兵乱などが多いとすることから「三合の厄」を避けるため)
地震
由来・出典
「三国志」呉志 巻7
三国志(さんごくし)とは、古代中国の春秋時代のことを記した歴史書。
安国和民建久長之計
「晋書」巻46 劉頌伝
晋書(しんじょ)とは、古代中国王朝「晋(しん)」のことを記した歴史書。
建久安於万歳、垂長世於無窮
109
元号名
正治 しょうじ
始期
建久10年4月27日
1199年5月23日
終期
正治3年2月13日
1201年3月19日
年数
3年
天皇名
第83代 土御門天皇 つちみかどてんのう
在位
建久9年1月11日-承元4年11月25日
1198年2月18日-1210年12月12日
改元理由
後鳥羽天皇からの譲位を受けて、第一皇子である為仁親王(ためひとしんのう)がわずか3歳で践祚し、土御門天皇となったことによる改元
由来・出典
「荘子(そうじ)」雑篇 漁父
天子、諸侯、大夫、庶人、此四者、自正、治之美也
110
元号名
建仁 けんにん
始期
正治3年2月13日
1201年3月19日
終期
建仁4年2月20日
1204年3月23日
年数
4年
天皇名
83代 土御門天皇 つちみかどてんのう
在位
建久9年1月11日-承元4年11月25日
1198年2月18日-1210年12月12日
改元理由
辛酉革命(しんゆうかくめい / 60年に一度くる「辛酉」の年に起こるとされる革命を避けるため)
由来・出典
「文選」巻47 聖主得賢臣頌
文選(もんぜん)とは、古代中国の詩文集。
夫竭智附賢者、必建仁策、索人求士者、必樹伯跡
111
元号名
元久 げんきゅう
始期
建仁4年2月20日
1204年3月23日
終期
元久3年4月27日
1206年6月5日
年数
3年
天皇名
第83代 土御門天皇 つちみかどてんのう
在位
建久9年1月11日-承元4年11月25日
1198年2月18日-1210年12月12日
改元理由
甲子革令(かっしかくめい / 60年に一度くる「甲子」の年に起こるとされる革命を避けるため)
由来・出典
「毛詩正義」
毛詩正義(もうしせいぎ)とは、古代中国の思想家 孔子(こうし)が編んだ(編集した)とされる中国最古の詩集「毛詩(もうし)」の注釈書。
文王建元久矣
112
元号名
建永 けんえい
始期
元久3年4月27日
1206年6月5日
終期
建永2年10月25日
1207年11月16日
年数
2年
天皇名
第83代 土御門天皇 つちみかどてんのう
在位
建久9年1月11日-承元4年11月25日
1198年2月18日-1210年12月12日
改元理由
赤斑瘡(せきはんそう / 麻疹)の流行
摂政 九条良経(くじょうよしつね)の急死
由来・出典
「文選」巻42 曹子建與楊德祖書
吾雖德薄、位為蕃侯、猶庶幾戮力上國、流惠下民。建永世之業、留金石之功、豈徒以翰墨為勳績、辭賦為君子哉
113
元号名
承元 じょうげん
始期
建永2年10月25日
1207年11月16日
終期
承元5年3月9日
1211年4月23日
年数
5年
天皇名
第84代 順徳天皇 じゅんとくてんのう
在位
承元4年11月25日-承久3年4月20日
1210年12月12日-1221年5月13日
改元理由
天然痘(てんねんとう / 疱瘡)の流行
疾疫(しつえき / 悪性の流行病)
洪水
三合の厄(さんごうのやく / 暦の上で一年に大歳・太陰・客気の三神が合することで大凶とし、この年は天災、兵乱などが多いとすることから「三合の厄」を避けるため)
由来・出典
「通典」巻55
通典(つてん)とは、古代中国王朝「唐(とう)」の歴史家 杜佑(とゆう)が書いた、唐代に至るまでの古代中国の政治や法令制度の沿革とその変遷を綴った政書。
古者祭以酉時、薦以仲月、近代相承、元日奏祥瑞
114
元号名
建暦 けんりゃく
始期
承元5年3月9日
1211年4月23日
終期
建暦3年12月6日
1214年1月18日
年数
3年
天皇名
第84代 順徳天皇 じゅんとくてんのう
在位
承元4年11月25日-承久3年4月20日
1210年12月12日-1221年5月13日
改元理由
土御門天皇からの譲位を受けて、異母弟である守成親王(もりなりしんのう)が14歳で践祚し、順徳天皇となったことによる改元
由来・出典
「後漢書」巻12 律暦志
後漢書(ごかんじょ)とは、古代中国王朝「後漢(ごかん)」のことを記した歴史書。
建暦之本必先立元、元正然後定日比定
「宋書」巻12
宋書(そうじょ)」とは、古代中国の南北朝時代の南朝の国「宋(そう)」のことを記した歴史書。
建暦之本、必先立元
115
元号名
建保 けんぽう
建保 けんほう
始期
建暦3年12月6日
1214年1月18日
終期
建保7年4月12日
1219年5月27日
年数
7年
天皇名
第84代 順徳天皇 じゅんとくてんのう
在位
承元4年11月25日-承久3年4月20日
1210年12月12日-1221年5月13日
改元理由
天変地妖(てんぺんちよう / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる変動と地震・津波・噴火・洪水・異常気象など地上に起こる変異)
地震
由来・出典
「書経(尚書)」周書 多士
書経(しょきょう)とは、古代中国の経書。
惟天丕建、保乂有殷
116
元号名
承久 じょうきゅう
承久 しょうきゅう
始期
建保7年4月12日
1219年5月27日
終期
承久4年4月13日
1222年5月25日
年数
4年
天皇名
第84代 順徳天皇 じゅんとくてんのう
在位
承元4年11月25日-承久3年4月20日
1210年12月12日-1221年5月13日
天皇名
第85代 仲恭天皇 ちゅうきょうてんのう
在位
承久3年4月20日-承久7月9日
1221年5月13日-1221年7月29日
天皇名
第86代 後堀河天皇 ごほりかわてんのう
在位
承久3年7月9日-貞永元年10月4日
1221年7月29日-1232年11月17日
改元理由
天変(てんぺん / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる異変)
干魃(かんばつ / 農作物に必要な雨が長い間降らず作物が不作)
三合の厄(さんごうのやく / 暦の上で一年に大歳・太陰・客気の三神が合することで大凶とし、この年は天災、兵乱などが多いとすることから「三合の厄」を避けるため)
由来・出典
「詩緯」
詩緯(しい)とは、古代中国の思想家 孔子(こうし)が編んだ(編集した)とされる中国最古の詩集「詩経(しきょう )」ついて書かれた注釈書。
周起自后稷、歴世相承久
117
元号名
貞応 じょうおう
始期
承久4年4月13日
1222年5月25日
終期
貞応3年11月20日
1224年12月31日
年数
3年
天皇名
第86代 後堀河天皇 ごほりかわてんのう
在位
承久3年7月9日-貞永元年10月4日
1221年7月29日-1232年11月17日
改元理由
幕府の手によって仲恭天皇が廃位させられてことに伴って、守貞親王の第三皇子である茂仁親王(とよひとしんのう)が践祚し、後堀河天皇となったことによる改元
由来・出典
「易経(周易)」彖下
中孚以利貞、乃応乎天也
118
元号名
元仁 げんにん
始期
貞応3年11月20日
1224年12月31日
終期
元仁2年4月20日
1225年5月28日
年数
2年
天皇名
第86代 後堀河天皇 ごほりかわてんのう
在位
承久3年7月9日-貞永元年10月4日
1221年7月29日-1232年11月17日
改元理由
天変(てんぺん / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる異変)
炎旱(えんかん / 日照り)
由来・出典
「易経(周易)」乾卦
元亨利貞、正義曰、元則仁也
119
元号名
嘉禄 かろく
始期
元仁2年4月20日
1225年5月28日
終期
嘉禄3年12月10日
1228年1月18日
年数
3年
天皇名
第86代 後堀河天皇 ごほりかわてんのう
在位
承久3年7月9日-貞永元年10月4日
1221年7月29日-1232年11月17日
改元理由
疾疫(しつえき / 悪性の流行病)
天然痘(てんねんとう / 疱瘡)の流行
由来・出典
「博物志」
博物志(はくぶつし)とは、古代中国王朝「晋(しん)」に著した、中国および諸外国の事物を雑記した書物。
陛下摛顕先帝光耀、以奉皇天嘉禄
120
元号名
安貞 あんてい
始期
嘉禄3年12月10日
1228年1月18日
終期
安貞3年3月5日
1229年3月31日
年数
3年
天皇名
第86代 後堀河天皇 ごほりかわてんのう
在位
承久3年7月9日-貞永元年10月4日
1221年7月29日-1232年11月17日
改元理由
天変(てんぺん / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる異変)
天然痘(てんねんとう / 疱瘡)の流行
三合の厄(さんごうのやく / 暦の上で一年に大歳・太陰・客気の三神が合することで大凶とし、この年は天災、兵乱などが多いとすることから「三合の厄」を避けるため)
由来・出典
「易経(周易)」上経坤
乃終有慶、安貞之吉、応地无疆
121
元号名
寛喜 かんぎ
寛喜 かんき
始期
安貞3年3月5日
1229年3月31日
終期
寛喜4年4月2日
1232年4月23日
年数
4年
天皇名
第86代 後堀河天皇 ごほりかわてんのう
在位
承久3年7月9日-貞永元年10月4日
1221年7月29日-1232年11月17日
改元理由
天変地妖(てんぺんちよう / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる変動と地震・津波・噴火・洪水・異常気象など地上に起こる変異)
飢饉(ききん / 作物の不作により人々がうえ苦しむこと)
由来・出典
「魏書」
魏書(ぎしょ)とは、古代中国の南北朝時代の国「北周(ほくしゅう)」のことを記した歴史書。
仁興温良、寛興喜楽
122
元号名
貞永 じょうえい
始期
寛喜4年4月2日
1232年4月23日
終期
貞永2年4月15日
1233年5月25日
年数
2年
天皇名
第86代 後堀河天皇 ごほりかわてんのう
在位
承久3年7月9日-貞永元年10月4日
1221年7月29日-1232年11月17日
天皇名
第87代 四条天皇 しじょうてんのう
在位
貞永元年10月4日-仁治3年1月9日
1232年11月17日-1242年2月10日
改元理由
天変地妖(てんぺんちよう / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる変動と地震・津波・噴火・洪水・異常気象など地上に起こる変異)
飢饉(ききん / 作物の不作により人々がうえ苦しむこと)
由来・出典
「易経(周易)」坤卦 注疏
利在永貞、永長也、貞正也、言能貞正也
123
元号名
天福 てんぷく
天福 てんふく
始期
貞永2年4月15日
1233年5月25日
終期
天福2年11月5日
1234年11月27日
年数
2年
天皇名
第87代 四条天皇 しじょうてんのう
在位
貞永元年10月4日-仁治3年1月9日
1232年11月17日-1242年2月10日
改元理由
後堀河天皇からの譲位を受けて、第一皇子である秀仁親王(みつひとしんのう)がわずか2歳で践祚し、順徳天皇となったことによる改元
由来・出典
「書経(尚書)」湯誥
政善、天福之
124
元号名
文暦 ぶんりゃく
始期
天福2年11月5日
1234年11月27日
終期
文暦2年9月19日
1235年11月1日
年数
2年
天皇名
87代 四条天皇 しじょうてんのう
在位
貞永元年10月4日-仁治3年1月9日
1232年11月17日-1242年2月10日
改元理由
天変(てんぺん / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる異変)
地震
由来・出典
「文選」巻46 顔延三月三日曲水詩序
皇上以叡文承暦、景屬宸居
「旧唐書」
旧唐書(くとうじょ)とは、古代中国王朝「唐(とう)」の史実を記した歴史書。
掌天文暦数
125
元号名
嘉禎 かてい
始期
文暦2年9月19日
1235年11月1日
終期
嘉禎4年11月23日
1238年12月30日
年数
4年
天皇名
第87代 四条天皇 しじょうてんのう
在位
貞永元年10月4日-仁治3年1月9日
1232年11月17日-1242年2月10日
改元理由
天変(てんぺん / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる異変)
地震頻発
由来・出典
「北斉書」巻4 文宣紀
北斉書(ほくせいしょ)とは、古代中国の南北朝時代の北朝の国「東魏(とうぎ)」と「北斉(ほくせい)」のことを記した歴史書。
蘊千祀、彰明嘉禎
126
元号名
暦仁 りゃくにん
始期
嘉禎4年11月23日
1238年12月30日
終期
暦仁2年2月7日
1239年3月13日
年数
2年
天皇名
第87代 四条天皇 しじょうてんのう
在位
貞永元年10月4日-仁治3年1月9日
1232年11月17日-1242年2月10日
改元理由
天変(てんぺん / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる異変)
由来・出典
「隋書」巻15 音楽志下
隋書(ずいしょ)とは、古代中国王朝「隋(ずい)」のことを記した歴史書。
皇明馭暦、仁深海県
127
元号名
延応 えんおう
始期
暦仁2年2月7日
1239年3月13日
終期
延応2年7月16日
1240年8月5日
年数
2年
天皇名
第87代 四条天皇 しじょうてんのう
在位
貞永元年10月4日-仁治3年1月9日
1232年11月17日-1242年2月10日
改元理由
天変(てんぺん / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる異変)
地震
由来・出典
「文選」巻24 潘安仁為賈謐作贈陸機
廊廟惟清、俊乂是延、擢応嘉挙
128
元号名
仁治 にんじ
仁治 にんち
始期
延応2年7月16日
1240年8月5日
終期
仁治4年2月26日
1243年3月18日
年数
4年
天皇名
第87代 四条天皇 しじょうてんのう
在位
貞永元年10月4日-仁治3年1月9日
1232年11月17日-1242年2月10日
天皇名
第88代 後嵯峨天皇 ごさがてんのう
在位
仁治3年1月20日-寛元4年1月29日
1242年2月21日-1246年2月16日
改元理由
彗星出現(すいせいしゅつげん / 大な災害が起こる前触れとして不吉とされていた)
干魃(かんばつ / 農作物に必要な雨が長い間降らず作物が不作)
炎旱(えんかん / 日照り)
地震など
由来・出典
「新唐書」
新唐書(しんとうじょ)とは、古代中国王朝「唐(とう)」の史実を記した歴史書「旧唐書(くとうじょ)」に改修を加えた歴史書。
太宗以寛仁治天下
129
元号名
寛元 かんげん
始期
仁治4年2月26日
1243年3月18日
終期
寛元5年2月28日
1247年4月5日
年数
5年
天皇名
第88代 後嵯峨天皇 ごさがてんのう
在位
仁治3年1月20日-寛元4年1月29日
1242年2月21日-1246年2月16日
天皇名
第89代 後深草天皇 ごふかくさてんのう
在位
寛元4年1月29日-正元元年11月26日
1246年2月16日-1260年1月9日
改元理由
四条天皇の崩御に伴い、土御門天皇の皇子である邦仁親王(くにひとしんのう)がわずか2歳で践祚し、後嵯峨天皇となったことによる改元
由来・出典
「宋書」
舜禹之際、五教在寛、元元以平
130
元号名
宝治 ほうじ
始期
寛元5年2月28日
1247年4月5日
終期
宝治3年3月18日
1249年5月2日
年数
3年
天皇名
第89代 後深草天皇 ごふかくさてんのう
在位
寛元4年1月29日-正元元年11月26日
1246年2月16日-1260年1月9日
改元理由
後嵯峨天皇からの譲位を受けて、皇子である久仁親王(ひさひとしんのう)がわずか2歳で践祚し、後深草天皇となったことによる改元
由来・出典
「春秋繁露」通国身
春秋繁露(しゅんじゅうはんろ)とは、古代中国王朝「前漢(ぜんかん)」の論文集。
気之清者為精、人之清者為賢、治身者以積精為宝、治国者以積賢為道
131
元号名
建長 けんちょう
始期
宝治3年3月18日
1249年5月2日
終期
建長8年10月5日
1256年10月24日
年数
8年
天皇名
第89代 後深草天皇 ごふかくさてんのう
在位
寛元4年1月29日-正元元年11月26日
1246年2月16日-1260年1月9日
改元理由
天変(てんぺん / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる異変)
平安京の内裏火災(だいりかさい / 天皇が住んでいるところの火災)
由来・出典
「後漢書」巻65 段熲伝
建長久之策
132
元号名
康元 こうげん
始期
建長8年10月5日
1256年10月24日
終期
康元2年3月14日
1257年3月31日
年数
2年
天皇名
第89代 後深草天皇 ごふかくさてんのう
在位
寛元4年1月29日-正元元年11月26日
1246年2月16日-1260年1月9日
改元理由
赤斑瘡(せきはんそう / 麻疹)の流行
由来・出典
-
133
元号名
正嘉 しょうか
始期
康元2年3月14日
1257年3月31日
終期
正嘉3年3月26日
1259年4月20日
年数
3年
天皇名
第89代 後深草天皇 ごふかくさてんのう
在位
寛元4年1月29日-正元元年11月26日
1246年2月16日-1260年1月9日
改元理由
太政官庁(だいじょうかん)、五条殿などの焼失
由来・出典
「芸文類聚」歳時中 元正
芸文類聚(げいもんるいじゅう)とは、古代中国の百科事典。
採秦漢之旧儀、肇元正之嘉会
134
元号名
正元 しょうげん
始期
正嘉3年3月26日
1259年4月20日
終期
正元2年4月13日
1260年5月24日
年数
2年
天皇名
第89代 後深草天皇 ごふかくさてんのう
在位
寛元4年1月29日-正元元年11月26日
1246年2月16日-1260年1月9日
天皇名
第90代 亀山天皇 かめやまてんのう
在位
正元元年11月26日-文永11年1月26日
1260年1月9日-1274年3月6日
改元理由
疾疫(しつえき / 悪性の流行病)
飢饉(ききん / 作物の不作により人々がうえ苦しむこと)
由来・出典
「詩緯」
一如正元、万載相伝
135
元号名
文応 ぶんおう
始期
正元2年4月13日
1260年5月24日
終期
文応2年2月20日
1261年3月22日
年数
2年
天皇名
第90代 亀山天皇 かめやまてんのう
在位
正元元年11月26日-文永11年1月26日
1260年1月9日-1274年3月6日
改元理由
後深草天皇からの譲位を受けて、弟である恒仁親王(つねひとしんのう)が践祚し、亀山天皇となったことによる改元
由来・出典
「晋書」巻45 劉毅伝
大晋之行、戢武興文之応也
136
元号名
弘長 こうちょう
始期
文応2年2月20日
1261年3月22日
終期
弘長4年2月28日
1264年3月27日
年数
4年
天皇名
第90代 亀山天皇 かめやまてんのう
在位
正元元年11月26日-文永11年1月26日
1260年1月9日-1274年3月6日
改元理由
辛酉革命(しんゆうかくめい / 60年に一度くる「辛酉」の年に起こるとされる革命を避けるため)
由来・出典
「貞観政要」巻3 封建
貞観政要(じょうがんせいよう)とは、古代中国王朝「唐(とうかん)」の太宗の言行集。
閼治定之規、以弘長世之業者、万古不易、百慮同帰
137
元号名
文永 ぶんえい
始期
弘長4年2月28日
1264年3月27日
終期
文永12年4月25日
1275年5月22日
年数
12年
天皇名
第90代 亀山天皇 かめやまてんのう
在位
正元元年11月26日-文永11年1月26日
1260年1月9日-1274年3月6日
天皇名
第91代 後宇陀天皇 ごうだてんのう
在位
文永11年1月26日-弘安10年10月21日
1274年3月6日-1287年11月27日
改元理由
甲子革令(かっしかくめい / 60年に一度くる「甲子」の年に起こるとされる革命を避けるため)
由来・出典
「後漢書」荀悦伝
漢四百有六載、揆乱反正、統武興文、永惟祖宗之洪業、思光啓万嗣
138
元号名
建治 けんじ
始期
文永12年4月25日
1275年5月22日
終期
建治4年2月29日
1278年3月23日
年数
4年
天皇名
第91代 後宇陀天皇 ごうだてんのう
在位
文永11年1月26日-弘安10年10月21日
1274年3月6日-1287年11月27日
改元理由
亀山天皇からの譲位を受けて、第二皇子である世仁親王(よひとしんのう)が践祚し、後宇多天皇となったことによる改元
由来・出典
「周礼」
周礼(しゅらい)とは、古代中国の経書。
以治建国之学
139
元号名
弘安 こうあん
始期
建治4年2月29日
1278年3月23日
終期
弘安11年4月28日
1288年5月29日
年数
11年
天皇名
第91代 後宇陀天皇 ごうだてんのう
在位
文永11年1月26日-弘安10年10月21日
1274年3月6日-1287年11月27日
天皇名
第92代 伏見天皇 ふしみてんのう
在位
弘安10年10月21日-永仁6年7月22日
1287年11月27日-1298年8月30日
改元理由
疾疫(しつえき / 悪性の流行病)
由来・出典
「唐太宗実録」
唐太宗実録実録(とうたいそうじつろく)とは、古代中国王朝「唐(とう)」の皇帝の言行を記した記録。
弘安民之道
140
元号名
正応 しょうおう
始期
弘安11年4月28日
1288年5月29日
終期
正応6年8月5日
1293年9月6日
年数
6年
天皇名
第92代 伏見天皇 ふしみてんのう
在位
弘安10年10月21日-永仁6年7月22日
1287年11月27日-1298年8月30日
改元理由
後宇多天皇からの譲位を受けて、従兄である熈仁親王(ひろひとしんのう)が践祚し、伏見天皇となったことによる改元
由来・出典
「毛詩」
毛詩(もうし)とは、古代中国の思想家 孔子(こうし)が編んだ(編集した)とされる中国最古の詩集。
徳正応利
141
元号名
永仁 えいにん
始期
正応6年8月5日
1293年9月6日
終期
永仁7年4月25日
1299年5月25日
年数
7年
天皇名
第92代 伏見天皇 ふしみてんのう
在位
弘安10年10月21日-永仁6年7月22日
1287年11月27日-1298年8月30日
天皇名
第93代 後伏見天皇 ごふしみてんのう
在位
永仁6年7月22日-正安3年1月21日
1298年8月30日-1301年3月2日
改元理由
天変(てんぺん / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる異変)
鎌倉大地震
由来・出典
「晋書」巻22 楽志
永載仁風、長撫無外
142
元号名
正安 しょうあん
始期
永仁7年4月25日
1299年5月25日
終期
正安4年11月21日
1302年12月10日
年数
4年
天皇名
第93代 後伏見天皇 ごふしみてんのう
在位
永仁6年7月22日-正安3年1月21日
1298年8月30日-1301年3月2日
天皇名
第94代 後二条天皇 ごにじょうてんのう
在位
正安3年1月21日-徳治3年8月25日
1301年3月2日-1308年9月10日
改元理由
伏見天皇からの譲位を受けて、第一皇子である胤仁親王(たねひとしんのう)が11歳で践祚し、後伏見天皇となったことによる改元
由来・出典
「周書」
周書(しゅうしょ)とは、古代中国の南北朝時代の国「北周(ほくしゅう)」のことを記した歴史書。
居正安其身
「孔子家語」
孔子家語(こうしけご)古代中国の思想家 孔子の言行、逸話を集録した書物。
此の五行は 是れ以て身を正し 國を安んずるに足る
143
元号名
乾元 けんげん
始期
正安4年11月21日
1302年12月10日
終期
乾元2年8月5日
1303年9月16日
年数
2年
天皇名
第94代 後二条天皇 ごにじょうてんのう
在位
正安3年1月21日-徳治3年8月25日
1301年3月2日-1308年9月10日
改元理由
後伏見天皇からの譲位を受けて、第一皇子である邦治親王(くにはるしんのう)が11歳で践祚し、後二条天皇となったことによる改元
由来・出典
「周易(易経)」
周易(しゅうえき)とは、古代中国の儒教の経典「易経(えききょう)」の古名。
大哉乾元、万物資始、乃統天
144
元号名
嘉元 かげん
始期
乾元2年8月5日
1303年9月16日
終期
嘉元4年12月14日
1307年1月18日
年数
4年
天皇名
第94代 後二条天皇 ごにじょうてんのう
在位
正安3年1月21日-徳治3年8月25日
1301年3月2日-1308年9月10日
改元理由
彗星出現(すいせいしゅつげん / 大な災害が起こる前触れとして不吉とされていた)
炎旱(えんかん / 日照り)
由来・出典
「芸文類聚」巻1 天部 賀老人星表
嘉占元吉、弘無量之祐、隆克昌之祚、普天同慶、率土合歓
「貞観政要」
元良盛なるを嘉して万国貞し
145
元号名
徳治 とくじ
始期
嘉元4年12月14日
1307年1月18日
終期
徳治3年10月9日
1308年11月22日
年数
3年
天皇名
第95代 花園天皇 はなぞのてんのう
在位
延慶元年8月26日-文保2年2月26日
1308年9月11日-1318年3月29日
改元理由
天変(てんぺん / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる異変)
由来・出典
「書経(尚書)」皋陶謨 注疏
俊徳治能之士並在官
「春秋左氏伝」巻7 僖公33年
春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)とは、古代中国の春秋時代のことを記した歴史書「春秋」の注釈書。
能敬必有徳、徳以治民
「魏書」
明王以徳治天下
146
元号名
延慶 えんきょう
延慶 えんけい
始期
徳治3年10月9日
1308年11月22日
終期
延慶4年4月28日
1311年5月17日
年数
4年
天皇名
第95代 花園天皇 はなぞのてんのう
在位
延慶元年8月26日-文保2年2月26日
1308年9月11日-1318年3月29日
改元理由
後二条天皇の突然の崩御に伴い、伏見天皇の第四皇子である富仁親王(とみひとしんのう)が12歳で践祚し、花園天皇となったことによる改元
由来・出典
「後漢書」巻52 馬武伝
以功名延慶于後
147
元号名
応長 おうちょう
始期
延慶4年4月28日
1311年5月17日
終期
応長2年3月20日
1312年4月27日
年数
2年
天皇名
第95代 花園天皇 はなぞのてんのう
在位
延慶元年8月26日-文保2年2月26日
1308年9月11日-1318年3月29日
改元理由
疾疫(しつえき / 悪性の流行病)
由来・出典
「旧唐書」巻22 礼儀志
応長暦之規、象中月之度、広綜陰陽之数、傍通寒暑之和
148
元号名
正和 しょうわ
始期
応長2年3月20日
1312年4月27日
終期
正和6年2月3日
1317年3月16日
年数
6年
天皇名
第95代 花園天皇 はなぞのてんのう
在位
延慶元年8月26日-文保2年2月26日
1308年9月11日-1318年3月29日
改元理由
日食
月食
地震
怪異(かいい / 現実にはあり得ないと思われるような不思議な事柄)
由来・出典
「資治通鑑」唐紀
資治通鑑(しじつがん)とは、古代中国王朝「北宋(ほくそう)」の儒学者 司馬光(しばこう)の著した歴史書。
皇帝受朝奏正和
149
元号名
文保 ぶんぽう
文保 ぶんほう
始期
正和6年2月3日
1317年3月16日
終期
文保3年4月28日
1319年5月18日
年数
3年
天皇名
第95代 花園天皇 はなぞのてんのう
在位
延慶元年8月26日-文保2年2月26日
1308年9月11日-1318年3月29日
天皇名
第96代 後醍醐天皇 ごだいごてんのう
在位
文保2年2月26日-延元4年8月15日
1318年3月29日-1339年9月18日
改元理由
大地震
由来・出典
「梁書」
梁書(りょうしょ)とは、古代中国の南北朝時代の国「梁(りょう)」のことを記した歴史書。
姫周基文、久保七百
150
元号名
元応 げんおう
始期
文保3年4月28日
1319年5月18日
終期
元応3年2月23日
1321年3月22日
年数
3年
天皇名
第96代 後醍醐天皇 ごだいごてんのう
在位
文保2年2月26日-延元4年8月15日
1318年3月29日-1339年9月18日
改元理由
花園天皇からの譲位を受けて、後宇多天皇の第二皇子である尊治親王(たかはるしんのう)が11歳で践祚し、後醍醐天皇となったことによる改元
由来・出典
「旧唐書」
陛下富教安人、務農敦本、光復社稷、康済黎元之応也
151
元号名
元亨 げんこう
始期
元応3年2月23日
1321年3月22日
終期
元亨4年12月9日
1324年12月25日
年数
4年
天皇名
第96代 後醍醐天皇 ごだいごてんのう
在位
文保2年2月26日-延元4年8月15日
1318年3月29日-1339年9月18日
改元理由
辛酉革命(しんゆうかくめい / 60年に一度くる「辛酉」の年に起こるとされる革命を避けるため)
由来・出典
「周易(易経)」彖上
其徳剛健而文明、応乎天、而時行、是以元亨
元号名
正中 しょうちゅう
始期
元亨4年12月9日
1324年12月25日
終期
正中3年4月26日
1326年5月28日
年数
3年
天皇名
第96代 後醍醐天皇 ごだいごてんのう
在位
文保2年2月26日-延元4年8月15日
1318年3月29日-1339年9月18日
改元理由
天変地妖(てんぺんちよう / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる変動と地震・津波・噴火・洪水・異常気象など地上に起こる変異)
疾疫(しつえき / 悪性の流行病)
甲子革令(かっしかくめい / 60年に一度くる「甲子」の年に起こるとされる革命を避けるため)
由来・出典
「易経(周易)」文言伝
見龍在田利見大人、何謂也、子曰、龍徳而正中者也、又曰、需有孚、元亨、貞吉位乎天位、以正中也
153
元号名
嘉暦 かりゃく
始期
正中3年4月26日
1326年5月28日
終期
嘉暦4年8月29日
1329年9月22日
年数
4年
天皇名
第96代 後醍醐天皇 ごだいごてんのう
在位
文保2年2月26日-延元4年8月15日
1318年3月29日-1339年9月18日
改元理由
疾疫(しつえき / 悪性の流行病)
洪水
地震
由来・出典
「旧唐書」巻13 本紀
四序嘉辰、暦代増置、宋韻曰、暦数也
154
元号名
元徳 げんとく
始期
嘉暦4年8月29日
1329年9月22日
終期
大覚寺統
元徳3年8月9日
1331年9月11日
持明院統
元徳4年4月28日
1332年5月23日
年数
大覚寺統
3年
持明院統
4年
天皇名
第96代 後醍醐天皇 ごだいごてんのう
在位
文保2年2月26日-延元4年8月15日
1318年3月29日-1339年9月18日
改元理由
疾疫(しつえき / 悪性の流行病)
由来・出典
「易経(周易)」
乾元亨利貞
「周易正義」
周易正義(しゅうえきせいぎ)とは、古代中国の儒教の経典「周易(しゅうえき / 易経)」の注釈書。
元者善之長、謂天之元徳、始生万物
大覚寺統
155 / 南朝 1
元号名
元弘 げんこう
始期
元徳3年8月9日
1331年9月11日
終期
元弘4年1月29日
1334年3月5日
年数
4年
天皇名
第96代 後醍醐天皇 ごだいごてんのう
在位
文保2年2月26日-延元4年8月15日
1318年3月29日-1339年9月18日
改元理由
疾疫(しつえき / 悪性の流行病)
由来・出典
「芸文類聚」巻1 天部
老人星体色光明、嘉占元吉、弘無量之裕降克昌之祥、普天同慶率土合歓
持明院統
- / 北朝 1
元号名
正慶 しょうけい
正慶 しょうきょう
始期
元徳4年4月28日
1332年5月23日
終期
正慶2年5月25日
1333年7月7日
年数
2年
天皇名
北朝第1代 光厳天皇 こうごんてんのう
在位
元弘元年9月20日-正慶2年5月25日
1331年10月22日-1333年7月7日
改元理由
後伏見天皇からの譲位を受けて、第一皇子である邦治親王(くにはるしんのう)が19歳で践祚し、後二条天皇となったことによる改元
由来・出典
「易経(周易)」益卦 注
以中正有慶之徳、有攸往也、何適而不利哉
最後まで読んでいただきありがとうございました。
またいらしゃいな。