193
元号名
元和 げんな
元和 げんわ
始期
慶長20年7月13日
1615年9月5日
終期
元和10年2月30日
1624年4月17日
年数
10年
天皇名
第108代 後水尾天皇 ごみずのおてんのう
在位
慶長16年3月27日-寛永6年11月8日
1611年5月9日-1629年12月22日
改元理由
後陽成天皇からの譲位を受けて、第三皇子である政仁親王(ことひとしんのう)が践祚し、後水尾天皇となったことによる改元
戦乱(せんらん / 大坂の陣)など
由来・出典
由来
徳川家康の命により、唐の憲宗(けいそう)の時代で使われていた年号(元号)「元和」を用いたことに由来する
194
元号名
寛永 かんえい
始期
元和10年2月30日
1624年4月17日
終期
寛永21年12月16日
1645年1月13日
年数
21年
天皇名
第108代 後水尾天皇 ごみずのおてんのう
在位
慶長16年3月27日-寛永6年11月8日
1611年5月9日-1629年12月22日
天皇名
第109代女帝 明正天皇 めいしょうてんのう
在位
寛永6年11月8日-寛永20年10月3日
1629年12月22日-1643年11月14日
天皇名
第110代 後光明天皇 ごこうみょうてんのう
在位
寛永20年10月3日-承応3年9月20日
1643年11月14日-1654年10月30日
改元理由
甲子革令(かっしかくめい / 60年に一度くる「甲子」の年に起こるとされる革命を避けるため)
将軍代始改元(しょうぐんだいはじめかいげん / 徳川家光の征夷大将軍任命による改元という説もある)
由来・出典
「毛詩(もうし)」朱氏注
毛詩(もうし)とは、古代中国の思想家 孔子(こうし)が編んだ(編集した)とされる中国最古の詩集。
寛広、永長
195
元号名
正保 しょうほう
始期
寛永21年12月16日
1645年1月13日
終期
正保5年2月15日
1648年4月7日
年数
5年
天皇名
第110代 後光明天皇 ごこうみょうてんのう
在位
寛永20年10月3日-承応3年9月20日
1643年11月14日-1654年10月30日
改元理由
明正天皇からの譲位を受けて、弟である紹仁親王(つぐひとしんのう)が践祚し、後光明天皇となったことによる改元
由来・出典
「尚書正義」
尚書正義(しょうしょせいぎ)とは、古代中国の経書「尚書(しょうしょ / 書経の古名)について書かれた注釈書。
先正保衡佐我烈祖、格于皇天
196
元号名
慶安 けいあん
慶安 きょうあん
始期
正保5年2月15日
1648年4月7日
終期
慶安5年9月18日
1652年10月20日
年数
5年
天皇名
第110代 後光明天皇 ごこうみょうてんのう
在位
寛永20年10月3日-承応3年9月20日
1643年11月14日-1654年10月30日
改元理由
「正保」が「焼亡」に繋がると批判が起きたため
御慎(おつつしみ / 厄運や地震の凶事を断ち切るため身を慎んで静かに過ごすこと)
由来・出典
「周易(易経)」
周易(しゅうえき)とは、古代中国の儒教の経典「易経(えききょう)」の古名。
乃終有慶、安貞之吉、応地無疆
197
元号名
承応 じょうおう
承応 しょうおう
始期
慶安5年9月18日
1652年10月20日
終期
承応4年4月13日
1655年5月18日
年数
4年
天皇名
第110代 後光明天皇 ごこうみょうてんのう
在位
寛永20年10月3日-承応3年9月20日
1643年11月14日-1654年10月30日
天皇名
第111代 後西天皇 ごさいてんのう
在位
承応3年11月28日-寛文3年1月26日
1655年1月5日-1663年3月5日
改元理由
徳川家綱の将軍就任のためによる改元か
由来・出典
「晋書」巻17 律歴志
晋書(しんじょ)とは、古代中国王朝「晋(しん)」のことを記した歴史書。
夏殷承運、周氏応期
198
元号名
明暦 めいれき
明暦 めいりゃく
始期
承応4年4月13日
1655年5月18日
終期
明暦4年7月23日
1658年8月21日
年数
4年
天皇名
第111代 後西天皇 ごさいてんのう
在位
承応3年11月28日-寛文3年1月26日
1655年1月5日-1663年3月5日
改元理由
後光明天皇の崩御に伴い、弟である良仁親王(ながひとしんのう)が11歳で践祚し、後西天皇となったことによる改元
由来・出典
「漢書」巻21 律歴志
漢書(かんじょ)とは、古代中国王朝「前漢(ぜんかん)」のことを記した歴史書。
箕子言、大法九章、而五紀明暦法
「後漢書」
後漢書(ごかんじょ)とは、古代中国王朝「後漢(ごかん)」のことを記した歴史書。
黄帝造歴、歴與暦同作
199
元号名
万治 まんじ
始期
明暦4年7月23日
1658年8月21日
終期
万治4年4月25日
1661年5月23日
年数
4年
天皇名
第111代 後西天皇 ごさいてんのう
在位
承応3年11月28日-寛文3年1月26日
1655年1月5日-1663年3月5日
改元理由
明暦の大火
由来・出典
「史記」巻2 夏本紀
衆民乃定、万国為治
「貞観政要」
貞観政要(じょうがんせいよう)とは、古代中国王朝「唐(とうかん)」の太宗の言行集。
本固万事治
200
元号名
寛文 かんぶん
始期
万治4年4月25日
1661年5月23日
終期
寛文13年9月21日
1673年10月30日
年数
13年
天皇名
第111代 後西天皇 ごさいてんのう
在位
承応3年11月28日-寛文3年1月26日
1655年1月5日-1663年3月5日
天皇名
第112代 霊元天皇 れいげんてんのう
在位
寛文3年1月26日-貞享4年3月21日
1663年3月5日-1687年5月2日
改元理由
京都にある内裏火災(だいりかさい / 天皇が住んでいるところの火災)
由来・出典
「荀子」巻9 致士篇
荀子(じゅんし)とは、古代中国の戦国時代の儒学思想家 荀子が著した思想書。
節奏陵而文、生民寛而安、上文下安、功名之極也
201
元号名
延宝 えんぽう
延宝 えんほう
始期
寛文13年9月21日
1673年10月30日
終期
延宝9年9月29日
1681年11月9日
年数
9年
天皇名
第112代 霊元天皇 れいげんてんのう
在位
寛文3年1月26日-貞享4年3月21日
1663年3月5日-1687年5月2日
改元理由
後西天皇からの譲位を受けて、弟である識仁親王(さとひとしんのう)が践祚し、霊元天皇となったことによる改元
京都大火
洪水
由来・出典
「隋書」巻14 音楽志
隋書(ずいしょ)とは、古代中国王朝「隋(ずい)」のことを記した歴史書。
分四序、綴三光、延宝祚、渺無疆
202
元号名
天和 てんな
天和 てんわ
始期
延宝9年9月29日
1681年11月9日
終期
天和4年2月21日
1684年4月5日
年数
4年
天皇名
第112代 霊元天皇 れいげんてんのう
在位
寛文3年1月26日-貞享4年3月21日
1663年3月5日-1687年5月2日
改元理由
辛酉革命(しんゆうかくめい / 60年に一度くる「辛酉」の年に起こるとされる革命を避けるため)
由来・出典
「尚書(書経)」
尚書(しょうしょ)とは、古代中国の経書「書経(しょきょう)」の古名。
奉答天命、和恒四方民居師
「漢書」
嘉承天和、伊楽厥福
「後漢書」巻7 桓帝紀
天人協和、万国咸寧
天和於上、地洽於下
「荘子(そうじ)」
与人和者謂之人楽、与天和者謂之天楽
203
元号名
貞享 じょうきょう
始期
天和4年2月21日
1684年4月5日
終期
貞享5年9月30日
1688年10月23日
年数
5年
天皇名
第112代 霊元天皇 れいげんてんのう
在位
寛文3年1月26日-貞享4年3月21日
1663年3月5日-1687年5月2日
天皇名
第113代 東山天皇 ひがしやまてんのう
在位
貞享4年3月25日-宝永6年6月21日
1687年5月6日-1709年7月27日
改元理由
甲子革令(かっしかくめい / 60年に一度くる「甲子」の年に起こるとされる革命を避けるため)
由来・出典
「周易(易経)」
永貞吉、王用享于帝、吉
末長く正しい道を守るのがよい、天の神を祀り神はこれをお受けになって、幸運を得る
204
元号名
元禄 げんろく
始期
貞享5年9月30日
1688年10月23日
終期
元禄17年3月13日
1704年4月16日
年数
17年
天皇名
第113代 東山天皇 ひがしやまてんのう
在位
貞享4年3月25日-宝永6年6月21日
1687年5月6日-1709年7月27日
改元理由
霊元天皇からの譲位を受けて、第四皇子である朝仁親王(あさひとしんのう)が践祚し、東山天皇となったことによる改元
由来・出典
「宋史」巻104
宋史(そうし)とは、古代中国の征服王朝 「元(げん)」に編纂(へんさん)された、古代中国の南北朝時代の南朝の国「宋(そう)」の歴史書。
恵綏黎元、懋建皇極、天禄無疆
「文選」
文選(もんぜん)とは、古代中国の詩文集。
建立元勳、以歷顯祿、福之上也
205
元号名
宝永 ほうえい
始期
元禄17年3月13日
1704年4月16日
終期
宝永8年4月25日
1711年6月11日
年数
8年
天皇名
第113代 東山天皇 ひがしやまてんのう
在位
貞享4年3月25日-宝永6年6月21日
1687年5月6日-1709年7月27日
天皇名
第114代 中御門天皇 なかみかどてんのう
在位
宝永6年6月21日-享保20年3月21日
1709年7月27日-1735年4月13日
改元理由
元禄地震
由来・出典
「旧唐書」巻30 音楽志
宝祚惟永、暉光日新
206
元号名
正徳 しょうとく
始期
宝永8年4月25日
1711年6月11日
終期
正徳6年6月22日
1716年8月9日
年数
6年
天皇名
第114代 中御門天皇 なかみかどてんのう
在位
宝永6年6月21日-享保20年3月21日
1709年7月27日-1735年4月13日
改元理由
東山天皇からの譲位を受けて、第五皇子である慶仁親王(やすひとしんのう)が践祚し、中御門天皇となったことによる改元
由来・出典
「書経(尚書)」大禹謨
書経(しょきょう)とは、古代中国の経書。
正徳、利用、厚生、惟和
道徳を正すこと、国民の力と財産を活用すること、国民の生活を豊かにすること、これらを調和させることが大切である
207
元号名
享保 きょうほう
始期
正徳6年6月22日
1716年8月9日
終期
享保21年4月28日
1736年6月7日
年数
21年
天皇名
第114代 中御門天皇 なかみかどてんのう
在位
宝永6年6月21日-享保20年3月21日
1709年7月27日-1735年4月13日
天皇名
第115代 桜町天皇 さくらまちてんのう
在位
享保20年3月21日-延享4年5月2日
1735年4月13日-1747年6月9日
改元理由
徳川家継の死去
由来・出典
「後漢書」
享茲大命、保有万国
天から大命を授けられ、万国を平和に保つ
208
元号名
元文 げんぶん
始期
享保21年4月28日
1736年6月7日
終期
元文6年2月27日
1741年4月12日
年数
6年
天皇名
第115代 桜町天皇 さくらまちてんのう
在位
享保20年3月21日-延享4年5月2日
1735年4月13日-1747年6月9日
改元理由
中御門天皇からの譲位を受けて、第一皇子である昭仁親王(てるひとしんのう)が践祚し、桜町天皇となったことによる改元
由来・出典
「文選」巻3
武創元基、文集大命、皆体天作制、順時立政、至于帝皇、遂重熙而累盛
209
元号名
寛保 かんぽう
寛保 かんほう
始期
元文6年2月27日
1741年4月12日
終期
寛保4年2月21日
1744年4月3日
年数
4年
天皇名
第115代 桜町天皇 さくらまちてんのう
在位
享保20年3月21日-延享4年5月2日
1735年4月13日-1747年6月9日
改元理由
辛酉革命(しんゆうかくめい / 60年に一度くる「辛酉」の年に起こるとされる革命を避けるため)
由来・出典
「国語」巻2 周語
国語(こくご)とは、古代中国の春秋時代のことを記した歴史書。
寛所以保本也、注曰、本位也、寛則得衆
210
元号名
延享 えんきょう
始期
寛保4年2月21日
1744年4月3日
終期
延享5年7月12日
1748年8月5日
年数
5年
天皇名
第115代 桜町天皇 さくらまちてんのう
在位
享保20年3月21日-延享4年5月2日
1735年4月13日-1747年6月9日
天皇名
第116代 桃園天皇 ももぞのてんのう
在位
延享4年5月2日-宝暦12年7月12日
1747年6月9日-1762年8月31日
改元理由
甲子革令(かっしかくめい / 60年に一度くる「甲子」の年に起こるとされる革命を避けるため)
由来・出典
「芸文類聚」巻1
芸文類聚(げいもんるいじゅう)とは、古代中国の百科事典。
聖主寿延、享祚元吉、自天之祐、莫不抃舞
211
元号名
寛延 かんえん
始期
延享5年7月12日
1748年8月5日
終期
寛延4年10月27日
1751年12月14日
年数
4年
天皇名
第116代 桃園天皇 ももぞのてんのう
在位
延享4年5月2日-宝暦12年7月12日
1747年6月9日-1762年8月31日
改元理由
桜町天皇からの譲位を受けて、第一皇子である遐仁親王(とおひとしんのう)が践祚し、桃園天皇となったことによる改元
由来・出典
「文選」巻10
開寛裕之路、以延天下之英俊也
212
元号名
宝暦 ほうれき
宝暦 ほうりゃく
始期
寛延4年10月27日
1751年12月14日
終期
宝暦14年6月2日
1764年6月30日
年数
14年
天皇名
第116代 桃園天皇 ももぞのてんのう
在位
延享4年5月2日-宝暦12年7月12日
1747年6月9日-1762年8月31日
天皇名
第117代女帝 後桜町天皇 ごさくらまちてんのう
在位
宝暦12年7月27日-明和7年11月24日
1762年9月15日-1771年1月9日
改元理由
桜町上皇の崩御
徳川吉宗の死去
地震
由来・出典
「貞観政要」巻5 論誠信
及恭承宝暦、夤奉帝図、垂拱無為、氛埃靖息
213
元号名
明和 めいわ
始期
宝暦14年6月2日
1764年6月30日
終期
明和9年11月16日
1772年12月10日
年数
9年
天皇名
第117代女帝 後桜町天皇 ごさくらまちてんのう
在位
宝暦12年7月27日-明和7年11月24日
1762年9月15日-1771年1月9日
天皇名
第118代 後桃園天皇 ごももぞのてんのう
在位
明和7年11月24日-安永8年11月9日
1771年1月9日-1779年12月16日
改元理由
桃園天皇からの遺詔を受けて、異母姉である智子内親王(としこないしんのう)が践祚し、後桜町天皇となったことによる改元
由来・出典
「書経(尚書)」堯典
九族既睦、平章百姓、百姓昭明、協和万邦、黎民於變時雍
「史記」巻1 五帝本紀」
百姓昭明、合和万国
214
元号名
安永 あんえい
始期
明和9年11月16日
1772年12月10日
終期
安永10年4月2日
1781年4月25日
年数
10年
天皇名
第118代 後桃園天皇 ごももぞのてんのう
在位
明和7年11月24日-安永8年11月9日
1771年1月9日-1779年12月16日
天皇名
第119代 光格天皇 こうかくてんのう
在位
安永8年11月25日-文化14年3月22日
1780年1月1日-1817年5月7日
改元理由
後桜町天皇からの譲位を受けて、甥である英仁親王(ひでひとしんのう)が践祚し、後桃園天皇となったことによる改元
明和の大火
風水害など
由来・出典
「文選」巻1 東京賦
寿安永寧、天禄宣明、温飾迎春
215
元号名
天明 てんめい
始期
安永10年4月2日
1781年4月25日
終期
天明9年1月25日
1789年2月19日
年数
9年
天皇名
第119代 光格天皇 こうかくてんのう
在位
安永8年11月25日-文化14年3月22日
1780年1月1日-1817年5月7日
改元理由
後桃園天皇の崩御に伴い、第一皇子である師仁親王(もろひとしんのう)が践祚し、光格天皇となったことによる改元
由来・出典
「書経(尚書)」太甲上
先王顧諟天明命
216
元号名
寛政 かんせい
始期
天明9年1月25日
1789年2月19日
終期
寛政13年2月5日
801年3月19日
年数
13年
天皇名
第119代 光格天皇 こうかくてんのう
在位
安永8年11月25日-文化14年3月22日
1780年1月1日-1817年5月7日
改元理由
天明の大火
内裏火災(だいりかさい / 天皇が住んでいるところの火災)
飢饉
由来・出典
「春秋左氏伝」昭公20年
春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)とは、古代中国の春秋時代のことを記した歴史書「春秋」の注釈書。
施之以寛、寛以済猛、猛以済寛、政是以和
217
元号名
享和 きょうわ
始期
寛政13年2月5日
1801年3月19日
終期
享和4年2月11日
1804年3月22日
年数
4年
天皇名
第119代 光格天皇 こうかくてんのう
在位
安永8年11月25日-文化14年3月22日
1780年1月1日-1817年5月7日
改元理由
辛酉革命(しんゆうかくめい / 60年に一度くる「辛酉」の年に起こるとされる革命を避けるため)
由来・出典
「文選」巻11 晋紀総論
順乎天而享其運、応乎人而和其義
218
元号名
文化 ぶんか
始期
享和4年2月11日
1804年3月22日
終期
文化15年4月22日
1818年5月26日
年数
15年
天皇名
第119代 光格天皇 こうかくてんのう
在位
安永8年11月25日-文化14年3月22日
1780年1月1日-1817年5月7日
天皇名
第120代 仁孝天皇 にんこうてんのう
在位
文化14年3月22日-弘化3年1月26日
1817年5月7日-1846年2月21日
改元理由
甲子革令(かっしかくめい / 60年に一度くる「甲子」の年に起こるとされる革命を避けるため)
由来・出典
「周易(易経)」賁卦彖伝
観于天文、以察時変、観乎人文、以化成天下
「後漢書」巻92 荀淑伝
宣文教以章其化、立武備、以秉其威
219
元号名
文政 ぶんせい
始期
文化15年4月22日
1818年5月26日
終期
文政13年12月10日
1831年1月23日
年数
13年
天皇名
第120代 仁孝天皇 にんこうてんのう
在位
文化14年3月22日-弘化3年1月26日
1817年5月7日-1846年2月21日
改元理由
光格天皇の譲位を受けて、第4皇子である恵仁親王(あやひとしんのう)が践祚し、仁孝天皇となったことによる改元
由来・出典
「書経(尚書)」舜典 注
舜察天文、斉七政
「漢書」
豪俊を選び文学を講じ、政事に稽参して民の心を進めんことを祈もとむ
220
元号名
天保 てんぽう
天保 てんほう
始期
文政13年12月10日
1831年1月23日
終期
天保15年12月2日
1845年1月9日
年数
15年
天皇名
第120代 仁孝天皇 にんこうてんのう
在位
文化14年3月22日-弘化3年1月26日
1817年5月7日-1846年2月21日
改元理由
文政の大火
文政京都地震など
由来・出典
「書経(尚書)」仲虺之誥
欽崇天道、永保天命
221
元号名
弘化 こうか
始期
天保15年12月2日
1845年1月9日
終期
弘化5年2月28日
1848年4月1日
年数
5年
天皇名
第120代 仁孝天皇 にんこうてんのう
在位
文化14年3月22日-弘化3年1月26日
1817年5月7日-1846年2月21日
天皇名
第121代 孝明天皇 こうめいてんのう
在位
弘化3年2月13日-慶応2年12月25日
1846年3月10日-1867年1月30日
改元理由
江戸城火災など
由来・出典
「書経(尚書)」周官
弍公弘化、寅亮天地
222
元号名
嘉永 かえい
始期
弘化5年2月28日
1848年4月1日
終期
嘉永7年11月27日
1855年1月15日
年数
7年
天皇名
第121代 孝明天皇 こうめいてんのう
在位
弘化3年2月13日-慶応2年12月25日
1846年3月10日-1867年1月30日
改元理由
仁孝天皇の崩御に伴い、第4皇子である統仁親王(おさひとしんのう)が践祚し、孝明天皇となったことによる改元
由来・出典
「宋書」巻20 楽志
宋書(そうじょ)」とは、古代中国の南北朝時代の南朝の国「宋(そう)」のことを記した歴史書。
思皇享多祐、嘉楽永無央
223
元号名
安政 あんせい
始期
嘉永7年11月27日
1855年1月15日
終期
安政7年3月18日
1860年4月8日
年数
7年
天皇名
第121代 孝明天皇 こうめいてんのう
在位
弘化3年2月13日-慶応2年12月25日
1846年3月10日-1867年1月30日
改元理由
内裏火災(だいりかさい / 天皇が住んでいるところの火災)
安政の大地震
黒船来航など
由来・出典
「群書治要」巻38
群書治要(ぐんしょちよう)とは、古代中国の唐時代の書物。
庶人安政、然後君子安位矣
224
元号名
万延 まんえん
始期
安政7年3月18日
1860年4月8日
終期
万延2年2月19日
1861年3月29日
年数
2年
天皇名
第121代 孝明天皇 こうめいてんのう
在位
弘化3年2月13日-慶応2年12月25日
1846年3月10日-1867年1月30日
改元理由
疾疫(しつえき / 悪性の流行病)
江戸城火災
桜田門外の変など
由来・出典
「後漢書」巻90 馬融伝
豊千億之子孫、歴万載而永延
225
元号名
文久 ぶんきゅう
始期
万延2年2月19日
1861年3月29日
終期
文久4年2月20日
1864年3月27日
年数
4年
天皇名
第121代 孝明天皇 こうめいてんのう
在位
弘化3年2月13日-慶応2年12月25日
1846年3月10日-1867年1月30日
改元理由
辛酉革命(しんゆうかくめい / 60年に一度くる「辛酉」の年に起こるとされる革命を避けるため)
由来・出典
「後漢書」巻79 謝該伝
故能文武並用、成長久之計
226
元号名
元治 げんじ
始期
文久4年2月20日
1864年3月27日
終期
元治2年4月7日
1865年5月1日
年数
2年
天皇名
第121代 孝明天皇 こうめいてんのう
在位
弘化3年2月13日-慶応2年12月25日
1846年3月10日-1867年1月30日
改元理由
甲子革令(かっしかくめい / 60年に一度くる「甲子」の年に起こるとされる革命を避けるため)
由来・出典
「周易(易経)」乾卦
乾元用九、天下治也
「三国志」
三国志(さんごくし)とは、古代中国の春秋時代のことを記した歴史書。
天地以四時成功、元首以輔弼興治
227
元号名
慶応 けいおう
始期
元治2年4月7日
1865年5月1日
終期
慶応4年9月8日
1868年10月23日
年数
4年
天皇名
第121代 孝明天皇 こうめいてんのう
在位
弘化3年2月13日-慶応2年12月25日
1846年3月10日-1867年1月30日
天皇名
第122代 明治天皇 めいじてんのう
在位
慶応3年1月9日-明治45年 / 大正元年7月30日
1867年2月13日-1912年7月30日
改元理由
禁門の変(きんもんのへん)
社会不安など
由来・出典
「文選」巻10 漢皇祖功臣頌 陸機
慶雲応輝、皇階授木
最後まで読んでいただきありがとうございました。
またいらしゃいな。