大同 だいどう
延暦25年5月18日
806年6月8日
大同5年9月19日
810年10月20日
5年
第51代 平城天皇 へいぜいてんのう
在位
延暦25年3月17日-大同4年4月1日
806年4月9日-809年5月18日
第52代 嵯峨天皇 さがてんのう
在位
大同4年4月1日-弘仁14年4月16日
809年5月18日-823年5月29日
桓武天皇が崩御に伴い、第一皇子である安殿親王(あてしんのう)が践祚し、平城天皇になったことによる改元
「書経(尚書)」洪範
書経(しょきょう)とは、古代中国の経書。
汝則従、亀従筮従、卿士従、庶民従、是之謂大同
弘仁 こうにん
大同5年9月19日
810年10月20日
弘仁15年1月5日
824年2月8日
15年
第53代 淳和天皇 じゅんなてんのう
在位
弘仁14年4月16日-天長10年2月28日
823年5月29日-833年3月22日
平城天皇からの譲位を受けて、弟である賀美能親王(かみのしんのう)が践祚し、嵯峨天皇になったことによる改元
-
天長 てんちょう
弘仁15年1月5日
824年2月8日
天長11年1月3日
834年2月14日
11年
第53代 淳和天皇 じゅんなてんのう
在位
弘仁14年4月16日-天長10年2月28日
823年5月29日-833年3月22日
第54代 仁明天皇 にんみょうてんのう
在位
天長10年2月28日-嘉祥3年3月19日
833年3月22日-850年5月4日
嵯峨天皇からの譲位を受けて、異母弟である大伴親王(おおともしんのう)が践祚し、淳和天皇になったことによる改元
「老子」第七章
老子(ろうし)とは、古代中国の春秋時代の思想家 老子が書いたと伝えられる書物。
天長地久
天地が永久に尽きないように、物事がいつまでも変わることなく続く
承和 じょうわ
承和 しょうわ
天長11年1月3日
834年2月14日
承和15年6月13日
848年7月16日
15年
第54代 仁明天皇 にんみょうてんのう
在位
天長10年2月28日-嘉祥3年3月19日
833年3月22日-850年5月4日
淳和天皇からの譲位を受けて、第二皇子である正良親王(まさらしんのう)が践祚し、仁明天皇になったことによる改元
「芸文類聚」帝王部
芸文類聚(げいもんるいじゅう)とは、古代中国の百科事典。
九功仍挙、将承太和
嘉祥 かしょう
嘉祥 かじょう
承和15年6月13日
848年7月16日
嘉祥4年4月28日
851年6月1日
4年
第54代 仁明天皇 にんみょうてんのう
在位
天長10年2月28日-嘉祥3年3月19日
833年3月22日-850年5月4日
第55代 文徳天皇 もんとくてんのう
在位
嘉祥3年3月19日-天安2年8月27日
850年5月4日-858年10月7日
豊後国(ぶんごのくに / 大分県)大分郡の寒川(さむかわ / 大分川)で捕獲された「白亀(はっき / 白いカメ)」が献じられた祥瑞による改元
「文選」巻8 曹植 七啓
文選(もんぜん)とは、古代中国の詩文集。
国静民康、神応休臻、屡獲嘉祥
仁寿 にんじゅ
嘉祥4年4月28日
851年6月1日
仁寿4年11月30日
854年12月23日
4年
第55代 文徳天皇 もんとくてんのう
在位
嘉祥3年3月19日-天安2年8月27日
850年5月4日-858年10月7日
文徳天皇の即位の際に、美作国(みまさかのくに / 岡山県東北部、兵庫県佐用郡佐用町の一部)や備前国(びぜんのくに / 岡山県東南部、香川県小豆郡・直島諸島、兵庫県赤穂市の一部)、摂津国(せっつのくに / 大阪府北中部、兵庫県南東部)から「白亀(はっき / 白いカメ)」、石見国(いわみのくに / 島根県西部)「甘露(かんろ)」が献上された瑞祥による改元
「論語」雍也篇
論語(ろんご)とは、古代中国の思想家 孔子(こうし)の教えを弟子たちがまとめた書物。
知者楽水、仁者楽山、知者動、仁者静、知者楽、仁者寿
物事の道理に通じている者(知者)は動く水を楽しみ、仁を備えている者(仁者)は動かない山を楽しむ、知者は動き、仁者は静かなり、知者は楽しみ、仁者は長生きする
斉衡 さいこう
仁寿4年11月30日
854年12月23日
斉衡4年2月21日
857年3月20日
4年
第55代 文徳天皇 もんとくてんのう
在位
嘉祥3年3月19日-天安2年8月27日
850年5月4日-858年10月7日
石見国(いわみのくに / 島根県西部)の国司が「醴泉(れいせん / あまい味のある泉)」の瑞を献上したことによる改元
「楊炯」碑文
楊炯(ようけい)とは、古代中国の唐代初期の詩人。
南昌晦跡、共梅福而斉衡、左部韜真与橋玄而等列
天安 てんあん
天安 てんなん
斉衡4年2月21日
857年3月20日
天安3年4月15日
859年5月20日
3年
第55代 文徳天皇 もんとくてんのう
在位
嘉祥3年3月19日-天安2年8月27日
850年5月4日-858年10月7日
第56代 清和天皇 せいわてんのう
在位
天安2年8月27日-貞観18年11月29日
858年10月7日-876年12月18日
常陸国(ひたちのくに / 茨城県)が「連理の木(りんりのき / 2本の木がくっついて1本になったもの)」を、美作国(みまさかのくに / 岡山県東北部、兵庫県佐用郡佐用町の一部)が「白鹿(はくろく)」を献上された祥瑞による改元
「礼記」
礼記(らいき)とは、古代中国の経書。
彼國安而天下安
貞観 じょうがん
天安3年4月15日
859年5月20日
貞観19年4月16日
877年6月1日
19年
第56代 清和天皇 せいわてんのう
在位
天安2年8月27日-貞観18年11月29日
858年10月7日-876年12月18日
第57代 陽成天皇 ようぜいてんのう
在位
貞観18年11月29日-元慶8年2月4日
876年12月18日-884年3月4日
文徳天皇の崩御に伴い、第四皇子である惟仁親王(これひとしんのう)がわずか9歳で践祚し、清和天皇になったことによる改元
「易経(周易)」繋辞下
易経(えききょう)とは、古代中国の儒教の経典。
天地之道、貞観者也
天地の道、しとやかでで徳のある人
元慶 がんぎょう
貞観19年4月16日
877年6月1日
元慶9年2月21日
885年3月11日
9年
第57代 陽成天皇 ようぜいてんのう
在位
貞観18年11月29日-元慶8年2月4日
876年12月18日-884年3月4日
第58代 光孝天皇 こうこうてんのう
在位
元慶8年2月4日-仁和3年8月26日
884年3月4日-887年9月17日
陽成天皇即位の際に、但馬国(たじまのくに / 兵庫県)から「白雉(白いキジ)」、尾張国(おわりのくに / 愛知県)から「連理の木(りんりのき / 2本の木がくっついて1本になったもの)」、備後国(びんごのくに / 広島県)から「白鹿(はくろく / 白い毛の鹿)」を献上された祥瑞による改元
「張華」詩
張華(ちょうか)とは、古代中国の三国時代 魏(ぎ)から西晋(せいしん)にかけての政治家・文人。
称元慶、奉聖觴、后皇延遐祚、安楽撫萬方
仁和 にんな
仁和 にんわ
元慶9年2月21日
885年3月11日
仁和5年4月27日
889年5月30日
5年
第58代 光孝天皇 こうこうてんのう
在位
元慶8年2月4日-仁和3年8月26日
884年3月4日-887年9月17日
第59代 宇多天皇 うだてんのう
在位
仁和3年8月26日-寛平9年7月3日
887年9月17日-897年8月4日
太政大臣の藤原基経(ふじわらのもとつね)が、強引に陽成天皇を譲位させて、大叔父である時康親王(ときやすしんのう)が55歳で践祚し、光孝天皇となったことによる改元
「礼記」儒行
言断仁之文也、歌楽者仁之和也
仁を表す文学は仁の本質であり、仁を表す歌は仁の和である
寛平 かんぴょう
寛平 かんぺい
寛平 かんへい
仁和5年4月27日
889年5月30日
寛平10年4月26日
898年5月20日
10年
第59代 宇多天皇 うだてんのう
在位
仁和3年8月26日-寛平9年7月3日
887年9月17日-897年8月4日
第60代 醍醐天皇 だいごてんのう
在位
寛平9年7月3日-延長8年9月22日
897年8月4日-930年10月16日
光孝天皇の崩御に伴い、定省親王(さだみしんのう)が践祚し、宇多天皇となったことによる改元
「唐書」刑法志
唐書(とうじょ)とは、古代中国王朝「唐(とう)」のことを記した歴史書。
皇祖太宗、除隋虐乱、治以寛平、民楽其安、重於犯法、致治之美、幾乎三代之盛
太宗皇帝は 隋の混乱を解消し、統治は平和をもたらし、人々の幸せを守るは、法を破ることより重要なこと、それが美しい統治につながり 3世代近くにわたって繁栄した
昌泰 しょうたい
寛平10年4月26日
898年5月20日
昌泰4年7月15日
901年8月31日
4年
第60代 醍醐天皇 だいごてんのう
在位
寛平9年7月3日-延長8年9月22日
897年8月4日-930年10月16日
宇多天皇からの譲位を受けて、第一皇子の敦仁親王(あつひとしんのう)が践祚し、醍醐天皇となったことによる改元
旧唐書」音楽志
旧唐書(くとうじょ)とは、古代中国王朝「唐(とう)」の史実を記した歴史書。
堂堂聖祖興、赫赫昌基泰
延喜 えんぎ
昌泰4年7月15日
901年8月31日
延喜23年閏4月11日
923年5月29日
23年
第60代 醍醐天皇 だいごてんのう
在位
寛平9年7月3日-延長8年9月22日
897年8月4日-930年10月16日
辛酉革命(しんゆうかくめい / 60年に一度くる「辛酉」の年に起こるとされる革命を避けるため)
昌泰の変(しょうたいのへん)など
「尚書(書経)」璇璣鈐
尚書(しょうしょ)とは、古代中国の経書「書経(しょきょう)」の古名。
禹開龍門、導積石、玄珪出、刻曰、延喜王受徳、天錫佩
延長 えんちょう
延喜23年閏4月11日
923年5月29日
延長9年4月26日
931年5月16日
9年
第60代 醍醐天皇 だいごてんのう
在位
寛平9年7月3日-延長8年9月22日
897年8月4日-930年10月16日
第61代 朱雀天皇 すざくてんのう
在位
延長8年9月22日-天慶9年4月20日
930年10月16日-946年5月23日
水潦(すいろう / 大雨と日照り続きで作物が不作)
疾疫(しつえき / 悪性の流行病)
「文選」東都賦 白雉詩
文選(もんぜん)とは、古代中国の詩文集。
彰皇徳兮侔周成、永延長兮膺天慶
承平 じょうへい
承平 しょうへい
延長9年4月26日
931年5月16日
承平8年5月22日
938年6月22日
8年
第61代 朱雀天皇 すざくてんのう
在位
延長8年9月22日-天慶9年4月20日
930年10月16日-946年5月23日
醍醐天皇の危篤を受け、第十一皇子である寛明親王(ゆたあきらしんのう)が践祚し、朱雀天皇となったことによる改元
「漢書」巻24 食貨志
漢書(かんじょ)とは、古代中国王朝「前漢(ぜんかん)」のことを記した歴史書。
今累世承平、豪富吏民、訾数鉅萬
平和な世の中を受け継いで、お金持ちや役人は豊かだが、貧しい民はまずます困っている
天慶 てんぎょう
天慶 てんきょう
承平8年5月22日
938年6月22日
天慶10年4月22日
947年5月15日
10年
第61代 朱雀天皇 すざくてんのう
在位
延長8年9月22日-天慶9年4月20日
930年10月16日-946年5月23日
第62代 村上天皇 むらかみてんのう
在位
天慶9年4月20日-康保4年5月25日
946年5月23日-967年7月5日
厄運(やくうん / 不運から災難などが生じる)
地震
御慎(おつつしみ / 厄運や地震の凶事を断ち切るため身を慎んで静かに過ごすこと)
「漢書」巻58 児寛伝
唯天子、建中和之極、兼総条貫、金声而玉振之、以順成天慶、垂萬世之基
天暦 てんりゃく
天慶10年4月22日
947年5月15日
天暦11年10月27日
957年11月21日
11年
第62代 村上天皇 むらかみてんのう
在位
天慶9年4月20日-康保4年5月25日
946年5月23日-967年7月5日
朱雀天皇からの譲位を受けて、弟の成明親王(なりあきらしんのう)が践祚し、村上天皇となったことによる改元
「論語」
天之暦数、在爾躬
天の運命が 汝一身にかかっている
天徳 てんとく
天暦11年10月27日
957年11月21日
天徳5年2月16日
961年3月5日
5年
第62代 村上天皇 むらかみてんのう
在位
天慶9年4月20日-康保4年5月25日
946年5月23日-967年7月5日
水旱(すいかん / 日照り続きで作物が不作)
飢饉(ききん / 作物の不作により人々がうえ苦しむこと)
「周易(易経)」乾卦
周易(しゅうえき)とは、古代中国の儒教の経典「易経(えききょう)」の古名。
飛龍在天、乃位乎天徳
竜がその居場所を得て天に居るとは(聖人が天子の位にあって、万民がその恵みを受けることのたとえ)、すなわち天子の徳に位す
応和 おうわ
天徳5年2月16日
961年3月5日
応和4年7月10日
964年8月19日
4年
第62代 村上天皇 むらかみてんのう
在位
天慶9年4月20日-康保4年5月25日
946年5月23日-967年7月5日
辛酉革命(しんゆうかくめい / 60年に一度くる「辛酉」の年に起こるとされる革命を避けるため)
平安京の内裏火災(だいりかさい / 天皇が住んでいるところの火災)など
「晋書」巻17 律暦志 董巴議
晋書(しんじょ)とは、古代中国王朝「晋(しん)」のことを記した歴史書。
鳥獣万物、莫不応和
鳥も獣もすべての生き物は、調和している
康保 こうほう
応和4年7月10日
964年8月19日
康保5年8月13日
968年9月8日
5年
第62代 村上天皇 むらかみてんのう
在位
天慶9年4月20日-康保4年5月25日
946年5月23日-967年7月5日
第63代 冷泉天皇 れいぜいてんのう
在位
康保4年5月25日-安和2年8月13日
967年7月5日-969年9月27日
甲子革令(かっしかくめい / 60年に一度くる「甲子」の年に起こるとされる革命を避けるため)
干魃(かんばつ / 農作物に必要な雨が長い間降らず作物が不作)
「書経(尚書)」周書 康誥篇
別求聞由古先哲王、用康保民弘于天
安和 あんな
安和 あんわ
康保5年8月13日
968年9月8日
安和3年3月25日
970年5月3日
3年
第63代 冷泉天皇 れいぜいてんのう
在位
康保4年5月25日-安和2年8月13日
967年7月5日-969年9月27日
第64代 円融天皇 えんゆうてんのう
在位
安和2年8月13日-永観2年8月27日
969年9月27日-984年9月24日
村上天皇の崩御に伴い、第2皇子である憲平親王(のりひらしんのう)が18歳せ践祚し、冷泉天皇となったことによる改元
「礼記」楽記 第19
是故治世之音、安以楽、其政和
この故に治世の音を、安らかに楽しめるは、その政治が安定しているからである
「漢書」巻22 礼楽志
四時舞者、孝文所作、以明示天下之安和
天禄 てんろく
安和3年3月25日
970年5月3日
天禄4年12月20日
973年2月6日
4年
第64代 円融天皇 えんゆうてんのう
在位
安和2年8月13日-永観2年8月27日
969年9月27日-984年9月24日
冷泉天皇からの譲位を受けて、弟である守平親王(もりひらしんのう)が践祚し、円融天皇となったことによる改元
「書経(尚書)」大禹謨
四海困窮、天禄永終
世の中の人々を困窮に陥れることがあれば、天からの恵みが永久に途絶えることになるだろう
「詩経」小雅
詩経(しきょう )とは、古代中国の思想家 孔子(こうし)が編んだ(編集した)とされる中国最古の詩集。
天保定爾、俾爾戩穀、罄無不宜、受天百禄
天延 てんえん
天禄4年12月20日
973年2月6日
天延4年7月13日
976年8月11日
4年
第64代 円融天皇 えんゆうてんのう
在位
安和2年8月13日-永観2年8月27日
969年9月27日-984年9月24日
天変(てんぺん / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる異変)
地震
「芸文類聚」巻13
志所存 皇雖殪没 天禄永延
志がそこにある たとえ皇帝がいなくなっても、天運は永遠に続く
貞元 じょうげん
天延4年7月13日
976年8月11日
貞元3年11月29日
978年12月31日
3年
第64代 円融天皇 えんゆうてんのう
在位
安和2年8月13日-永観2年8月27日
969年9月27日-984年9月24日
地震
平安京の内裏火災(だいりかさい / 天皇が住んでいるところの火災)
「文選」思玄賦
抨巫咸使占夢兮、乃貞吉之元符、滋令徳於正中兮、含嘉莠以為敷
天元 てんげん
貞元3年11月29日
978年12月31日
天元6年4月15日
983年5月29日
6年
第64代 円融天皇 えんゆうてんのう
在位
安和2年8月13日-永観2年8月27日
969年9月27日-984年9月24日
天変地妖(てんぺんちよう / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる変動と地震・津波・噴火・洪水・異常気象など地上に起こる変異)
陽五厄(ようごやく / 翌年が「陽五」の厄に当たるため)
「史記」暦書
史記(しき)とは、中国最初の歴史書。
王者易姓受命、必慎始初、改正朔、易服色、推元天元、順承其意
永観 えいかん
天元6年4月15日
983年5月29日
永観3年4月27日
985年5月19日
3年
第64代 円融天皇 えんゆうてんのう
在位
安和2年8月13日-永観2年8月27日
969年9月27日-984年9月24日
第65代 花山天皇 かざんてんのう
在位
永観2年8月27日-寛和2年6月23日
984年9月24日-986年8月1日
干魃(かんばつ / 農作物に必要な雨が長い間降らず作物が不作)
皇居火災など
「書経(尚書)」洛誥
王伴殿乃承叙、万年其永観朕子懐徳
寛和 かんな
寛和 かんわ
永観3年4月27日
985年5月19日
寛和3年4月5日
987年5月5日
3年
第65代 花山天皇 かざんてんのう
在位
永観2年8月27日-寛和2年6月23日
984年9月24日-986年8月1日
第66代 一条天皇 いちじょうてんのう
在位
寛和2年6月23日-寛弘8年6月13日
986年8月1日-1011年7月16日
円融天皇からの譲位を受けて、甥の師貞親王(もろさだしんのう)が17歳で践祚し、花山天皇となったことによる改元
「漢書」東方朔伝
使遭明王聖王、得清燕之間、寬和之色、発憤畢誠、図画安危、揆度得失
永延 えいえん
寛和3年4月5日
987年5月5日
永延3年8月8日
989年9月10日
3年
第66代 一条天皇 いちじょうてんのう
在位
和2年6月23日-寛弘8年6月13日
986年8月1日-1011年7月16日
花山天皇が突然出家し退位したことから、従兄弟である懐仁親王(やすひとしんのう)がわずか7歳で践祚し、一条天皇となったことによる改元
「漢書」巻75 翼李伝
永世延祚、不亦優乎
「後漢書」巻90 馬融伝
後漢書(ごかんじょ)とは、古代中国王朝「後漢(ごかん)」のことを記した歴史書。
豊千億之子孫、歴万載而永延
何千億もの子孫が 何千年も続くであろう
永祚 えいそ
永延3年8月8日
989年9月10日
祚2年11月7日
990年11月26日
2年
第66代 一条天皇 いちじょうてんのう
在位
寛和2年6月23日-寛弘8年6月13日
986年8月1日-1011年7月16日
ハレー彗星出現(はれーすいせいしゅつげん / 大な災害が起こる前触れとして不吉とされていた)
天変地妖(てんぺんちよう / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる変動と地震・津波・噴火・洪水・異常気象など地上に起こる変異)
「晋書」楽志
保茲永祚、与天比崇
「旧唐書」巻89 王方慶伝
当思荅極施之洪慈保無疆之永祚
正暦 しょうりゃく
永祚2年11月7日
990年11月26日
正暦6年2月22日
995年3月25日
6年
第66代 一条天皇 いちじょうてんのう
在位
寛和2年6月23日-寛弘8年6月13日
986年8月1日-1011年7月16日
台風
洪水
「史記」巻26 律書
新垣平以望気見、頗言正暦服色事
長徳 ちょうとく
正暦6年2月22日
995年3月25日
長徳5年1月13日
999年2月1日
5年
第66代 一条天皇 いちじょうてんのう
在位
寛和2年6月23日-寛弘8年6月13日
986年8月1日-1011年7月16日
疾疫(しつえき / 悪性の流行病)
天変(てんぺん / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる異変)
城門校尉箴
城門校尉箴(じょうもんこういしん)とは、古代中国の学者 揚雄(ようゆう)が書き記したもの。
唐虞長徳、而四海永懐
長保 ちょうほう
長徳5年1月13日
999年2月1日
長保6年7月20日
1004年8月8日
6年
第66代 一条天皇 いちじょうてんのう
在位
寛和2年6月23日-寛弘8年6月13日
986年8月1日-1011年7月16日
天変(てんぺん / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる異変)
炎旱(えんかん / 日照り)
疾疫(しつえき / 悪性の流行病)
「国語」周語
国語(こくご)とは、古代中国の春秋時代のことを記した歴史書。
若本固而功成、施徧而民阜、乃可以長保民矣
根本が強固で功業は成就し、施しはあまねく人民が重厚であれば、長く人民を保持することができる
寛弘 かんこう
長保6年7月20日
1004年8月8日
寛弘9年12月25日
1013年2月8日
9年
第66代 一条天皇 いちじょうてんのう
在位
寛和2年6月23日-寛弘8年6月13日
986年8月1日-1011年7月16日
第67代 三条天皇 さんじょうてんのう
在位
寛弘8年6月13日-長和5年1月29日
1011年7月16日-1016年3月10日
地震
「漢書」巻9 元帝紀
寛弘尽下、出於恭倹、号令温雅、有古之風烈
長和 ちょうわ
寛弘9年12月25日
1013年2月8日
長和6年4月23日
1017年5月21日
6年
第67代 三条天皇 さんじょうてんのう
在位
寛弘8年6月13日-長和5年1月29日
1011年7月16日-1016年3月10日
第68代 後一条天皇 ごいちじょうてんのう
在位
長和5年1月29日-長元9年4月17日
1016年3月10日-1036年5月15日
危篤状態の一条天皇から崩御数日前に譲位を受けて、従兄弟である居貞親王(おきさだしんのう)が践祚し、三条天皇となったことによる改元
「礼記」冠義紀
君臣正、父子親、長幼和、而后礼義立
寛仁 かんにん
長和6年4月23日
1017年5月21日
寛仁5年2月2日
1021年3月17日
5年
第68代 後一条天皇 ごいちじょうてんのう
在位
長和5年1月29日-長元9年4月17日
1016年3月10日-1036年5月15日
三条天皇からの譲位を受けて、一条天皇の第2皇子の敦成親王(あつひらしんのう)がわずか9歳で践祚し、後一条天皇となったことによる改元
「会稽記(かいけいき)」
寛仁祐云々
「書経(尚書)」仲虺之誥
克寛克仁、彰信兆民
「漢書」
寛仁愛人 意豁如也
治安 じあん
寛仁5年2月2日
1021年3月17日
治安4年7月13日
1024年8月19日
4年
第68代 後一条天皇 ごいちじょうてんのう
在位
長和5年1月29日-長元9年4月17日
1016年3月10日-1036年5月15日
辛酉革命(しんゆうかくめい / 60年に一度くる「辛酉」の年に起こるとされる革命を避けるため)
「漢書」巻48 賈誼伝
陛下何不壱令臣得孰数之於前、因陳治安策、試詳択焉
万寿 まんじゅ
治安4年7月13日
1024年8月19日
万寿5年7月25日
1028年8月18日
5年
第68代 後一条天皇 ごいちじょうてんのう
在位
長和5年1月29日-長元9年4月17日
1016年3月10日-1036年5月15日
甲子革令(かっしかくめい / 60年に一度くる「甲子」の年に起こるとされる革命を避けるため)
「詩経」小雅 南山有台
楽只君子、邦家之光、楽只君子、万寿無疆
楽しむ君子は、国家の光であり、楽しむ君子は、限りなく万寿を得て栄えるだろう
長元 ちょうげん
万寿5年7月25日
1028年8月18日
長元10年4月21日
1037年5月9日
10年
第68代 後一条天皇 ごいちじょうてんのう
在位
長和5年1月29日-長元9年4月17日
1016年3月10日-1036年5月15日
第69代 後朱雀天皇 ごすざくてんのう
在位
長元9年4月17日-寛徳2年1月16日
1036年5月15日-1045年2月5日
疾疫(しつえき / 悪性の流行病)
炎旱(えんかん / 日照り)
干魃(かんばつ / 農作物に必要な雨が長い間降らず作物が不作)
「六韜」
六韜(りくとう)とは、古代中国の兵法書。
天之為天、元為天長矣、地久矣、長久在其元、万物在其間、各得自利、謂之泰平、故有七十六壬癸、其所繋天下而有
長暦 ちょうりゃく
長元10年4月21日
1037年5月9日
長暦4年11月10日
1040年12月16日
4年
第69代 後朱雀天皇 ごすざくてんのう
在位
長元9年4月17日-寛徳2年1月16日
1036年5月15日-1045年2月5日
後一条天皇の崩御に伴い、弟である敦良親王(あつながしんのう)が践祚し、後朱雀天皇となったことによる改元
「晋書」杜預伝
預耽思経籍、作盟会、図春秋長暦、備作一家之学
長久 ちょうきゅう
長暦4年11月10日
1040年12月16日
長久5年11月24日
1044年12月16日
5年
第69代 後朱雀天皇 ごすざくてんのう
在位
長元9年4月17日-寛徳2年1月16日
1036年5月15日-1045年2月5日
天災地変(てんさいちへん / 自然界の変動によって起こる災害や異変)
平安京の内裏火災(だいりかさい / 天皇が住んでいるところの火災)
「老子」第七章
天長地
天地は長久であるように、聖人は自身の身を度外視しながら、逆にその身が保たれる
寛徳 かんとく
長久5年11月24日
1044年12月16日
寛徳3年4月14日
1046年5月22日
3年
第69代 後朱雀天皇 ごすざくてんのう
在位
長元9年4月17日-寛徳2年1月16日
1036年5月15日-1045年2月5日
第70代 後冷泉天皇 ごれいぜいてんのう
在位
寛徳2年1月16日-治暦4年4月19日
1045年2月5日-1068年5月22日
疾疫(しつえき / 悪性の流行病)
干魃(かんばつ / 農作物に必要な雨が長い間降らず作物が不作)
「後漢書」巻57 杜林伝
海内歓欣、人懐寛徳
永承 えいしょう、えいじょう
寛徳3年4月14日
1046年5月22日
永承8年1月11日
1053年2月2日
8年
第70代 後冷泉天皇 ごれいぜいてんのう
在位
寛徳2年1月16日-治暦4年4月19日
1045年2月5日-1068年5月22日
病床の後朱雀天皇からの譲位を受けて、第一皇子である親仁親王(ちかひとしんのう)が践祚し、後冷泉天皇となったことによる改元
「書経(尚書)」
永承天祚
「晋書」巻21 礼志
宜奉宗廟、永承天仍
天喜 てんぎ
天喜 てんき
永承8年1月11日
1053年2月2日
天喜6年8月29日
1058年9月19日
6年
第70代 後冷泉天皇 ごれいぜいてんのう
在位
寛徳2年1月16日-治暦4年4月19日
1045年2月5日-1068年5月22日
天変(てんぺん / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる異変)
疾疫(しつえき / 悪性の流行病)
「抱朴子」
抱朴子(ほうぼくし)とは、古代中国王朝「晋(しん)」の書物。
人主有道、則嘉祥並臻、此則天喜也
康平 こうへい
天喜6年8月29日
1058年9月19日
康平8年8月2日
1065年9月4日
8年
第70代 後冷泉天皇 ごれいぜいてんのう
在位
寛徳2年1月16日-治暦4年4月19日
1045年2月5日-1068年5月22日
大極殿(だいごくでん)、法成寺(ほうじょうじ)の火災による改元
「後漢書」巻64 梁統伝
文帝寛恵温克、遭世康平
治暦 じりゃく
康平8年8月2日
1065年9月4日
治暦5年4月13日
1069年5月6日
5年
第70代 後冷泉天皇 ごれいぜいてんのう
在位
寛徳2年1月16日-治暦4年4月19日
1045年2月5日-1068年5月22日
第71代 後三条天皇 ごさんじょうてんのう
在位
治暦4年4月19日-延久4年12月8日
1068年5月22日-1073年1月18日
干魃(かんばつ / 農作物に必要な雨が長い間降らず作物が不作)
三合の厄(さんごうのやく / 暦の上で一年に大歳・太陰・客気の三神が合することで大凶とし、この年は天災、兵乱などが多いとすることから「三合の厄」を避けるため)
「尚書正義」
尚書正義(しょうしょせいぎ)とは、古代中国の経書「尚書(しょうしょ / 書経の古名)について書かれた注釈書。
君子以治暦明時、然則改正治暦自武王始矣
「易経」革
君子以治厤明時
延久 えんきゅう
治暦5年4月13日
1069年5月6日
延久6年8月23日
1074年9月16日
6年
後三条天皇 ごさんじょうてんのう
在位
治暦4年4月19日-延久4年12月8日
1068年5月22日-1073年1月18日
第72代 白河天皇 しらかわてんのう
在位
延久4年12月8日-応徳3年11月26日
1073年1月18日-1087年1月3日
後冷泉天皇の崩御に伴い、第二皇子である尊仁親王(たかひとしんのう)が践祚し、後三条天皇となったことによる改元
「書経(尚書)」君奭 注
我以道惟安寧王之徳、謀欲延久也
承保 じょうほう
承保 しょうほう
延久6年8月23日
1074年9月16日
承保4年11月17日
1077年12月5日
4年
第72代 白河天皇 しらかわてんのう
在位
延久4年12月8日-応徳3年11月26日
1073年1月18日-1087年1月3日
後三条天皇からの譲位を受けて、第一皇子である貞仁親王(さだひとしんのう)が践祚し、白河天皇となったことによる改元
三合の厄(さんごうのやく / 暦の上で一年に大歳・太陰・客気の三神が合することで大凶とし、この年は天災、兵乱などが多いとすることから「三合の厄」を避けるため)
「書経(尚書)」周書 洛誥
周公拝手稽首曰、王命予来、承保乃文祖受命民
承暦 じょうりゃく
承暦 しょうりゃく
承保4年11月17日
1077年12月5日
承暦5年2月10日
1081年3月22日
5年
第72代 白河天皇 しらかわてんのう
在位
延久4年12月8日-応徳3年11月26日
1073年1月18日-1087年1月3日
干魃(かんばつ / 農作物に必要な雨が長い間降らず作物が不作)
天然痘(てんねんとう / 疱瘡)の流行
「維城典訓」
維城典訓(いじょうてんくん)とは、中国史上唯一の女帝 則天武后(そくてんぶこう)が編纂(へんさい)させた書物。
聖人者能體道以為用、以懿徳而承暦、資文明以応期、崇高則天、博厚儀地、鎔鋳包於六合、陶甄殊於萬有
永保 えいほう
承暦5年2月10日
1081年3月22日
永保4年2月7日
1084年3月15日
4年
第72代 白河天皇 しらかわてんのう
在位
延久4年12月8日-応徳3年11月26日
1073年1月18日-1087年1月3日
辛酉革命(しんゆうかくめい / 60年に一度くる「辛酉」の年に起こるとされる革命を避けるため)
「書経(尚書)」仲虺之誥
欽崇天道、永保天命
天の道を讃え、運命を永遠に守り抜く
「書経(尚書)」梓材
惟王子子孫孫、永保民
応徳 おうとく
永保4年2月7日
1084年3月15日
応徳4年4月7日
1087年5月11日
4年
第72代 白河天皇 しらかわてんのう
在位
延久4年12月8日-応徳3年11月26日
1073年1月18日-1087年1月3日
第73代 堀河天皇 ほりかわてんのう
在位
応徳3年11月26日-嘉承2年7月19日
1087年1月3日-1107年8月9日
甲子革令(かっしかくめい / 60年に一度くる「甲子」の年に起こるとされる革命を避けるため)
「白虎通義」封禅
白虎通義(びゃっこつうぎ)とは、古代中国王朝「後漢(ごかん)」の儒学書。
天下太平、符瑞所以来至者、以為王者承天順理、調和陰陽、和万物序、休気充塞、故符瑞並臻、皆応徳而至
寛治 かんじ
応徳4年4月7日
1087年5月11日
寛治8年12月15日
1095年1月23日
8年
第73代 堀河天皇 ほりかわてんのう
在位
lb-嘉承2年7月19日
1087年1月3日-1107年8月9日
白河天皇からの譲位を受けて、第三皇子である善仁親王(たるひとしんのう)がわずか8歳で践祚し、堀河天皇となったことによる改元
礼記」祭法
湯以寛治民、而除其虐、文王以文治、武王以武功、此皆有功烈於民者也
嘉保 かほう
寛治8年12月15日
1095年1月23日
嘉保3年12月17日
1097年1月3日
3年
第73代 堀河天皇 ほりかわてんのう
在位
応徳3年11月26日-嘉承2年7月19日
1087年1月3日-1107年8月9日
天然痘(てんねんとう / 疱瘡)の流行
「史記」巻6 始皇本紀
黔首脩絜、人楽同則、嘉保太平
永長 えいちょう
嘉保3年12月17日
1096年1月28日
永長2年11月21日
1097年12月27日
11ヶ月
第73代 堀河天皇 ほりかわてんのう
在位
応徳3年11月26日-嘉承2年7月19日
1087年1月3日-1107年8月9日
天変(てんぺん / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる異変)
永長地震
「後漢書」巻1 光武帝紀
夾輔王室、尊事天子、享国永長、為後世法
承徳 じょうとく
承徳 しょうとく
永長2年11月21日
1097年12月27日
承徳3年8月28日
1099年9月15日
3年
第73代 堀河天皇 ほりかわてんのう
在位
応徳3年11月26日-嘉承2年7月19日
1087年1月3日-1107年8月9日
彗星出現(すいせいしゅつげん / 大な災害が起こる前触れとして不吉とされていた)
大風
洪水
地震
「易経(周易)」蠱卦
幹父之蠱、用誉承以徳也
康和 こうわ
承徳3年8月28日
1099年9月15日
康和6年2月10日
1104年3月8日
6年
第73代 堀河天皇 ほりかわてんのう
在位
応徳3年11月26日-嘉承2年7月19日
1087年1月3日-1107年8月9日
康和地震
疾疫(しつえき / 悪性の流行病)
「政論」
政論(せいろん)とは、古代中国王朝「後漢(ごかん)」の政治家「崔寔(さいしょく)」が著した書物。
四海康和、天下同楽
世界の調和、世界の調和
長治 ちょうじ
康和6年2月10日
1104年3月8日
長治3年4月9日
1106年5月13日
3年
第73代 堀河天皇 ほりかわてんのう
在位
3年11月26日-嘉承2年7月19日
1087年1月3日-1107年8月9日
月食(げっしょく)
天変(てんぺん / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる異変)
「漢書」巻48 賈誼伝
建久安之勢、成長治之業
嘉承 かしょう
嘉承 かじょう
長治3年4月9日
1106年5月13日
嘉承3年8月3日
1108年9月9日
3年
第73代 堀河天皇 ほりかわてんのう
在位
応徳3年11月26日-嘉承2年7月19日
1087年1月3日-1107年8月9日
第74代 鳥羽天皇 とばてんのう
在位
嘉承2年7月19日-保安4年1月28日
1107年8月9日-1123年2月25日
彗星出現(すいせいしゅつげん / 大な災害が起こる前触れとして不吉とされていた)
「漢書」巻22 礼楽志
嘉承天和、伊楽厥福
天仁 てんにん
嘉承3年8月3日
1108年9月9日
天仁3年7月13日
1110年7月31日
3年
第74代 鳥羽天皇 とばてんのう
在位
嘉承2年7月19日-保安4年1月28日
1107年8月9日-1123年2月25日
堀河天皇の崩御に伴い、皇子である宗仁親王(むねひとしんのう)がわずか5歳で践祚し、鳥羽天皇となったことによる改元
「文選」巻6
統天、仁風遐揚
天永 てんえい
天仁3年7月13日
1110年7月31日
天永4年7月13日
1113年8月25日
4年
第74代 鳥羽天皇 とばてんのう
在位
嘉承2年7月19日-保安4年1月28日
1107年8月9日-1123年2月25日
彗星出現(すいせいしゅつげん / 大な災害が起こる前触れとして不吉とされていた)
「書経(尚書)」召誥
欲王以小民受天永命
永久 えいきゅう
天永4年7月13日
1113年8月25日
永久6年4月3日
1118年4月25日
6年
第74代 鳥羽天皇 とばてんのう
在位
嘉承2年7月19日-保安4年1月28日
1107年8月9日-1123年2月25日
天変(てんぺん / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる異変)
赤斑瘡(せきはんそう / 麻疹)の流行
戦乱など
「詩経」小雅 六月
吉甫燕喜、既多受祉、来帰自鎬、我行永久
蔡邕「難夏育請伐鮮卑議」
蔡邕(さいよう)とは、中国後漢末期の政治家・儒者・書家。
其設不戦之計、守禦之固者、皆社稷之臣、永久之策也
元永 げんえい
永久6年4月3日
1118年4月25日
元永3年4月10日
1120年5月9日
3年
第74代 鳥羽天皇 とばてんのう
在位
嘉承2年7月19日-保安4年1月28日
1107年8月9日-1123年2月25日
天変(てんぺん / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる異変)
疾疫(しつえき / 悪性の流行病)
「易経(周易)」
元永貞无咎
保安 ほうあん
元永3年4月10日
1120年5月9日
保安5年4月3日
1124年5月18日
5年
第74代 鳥羽天皇 とばてんのう
在位
嘉承2年7月19日-保安4年1月28日
1107年8月9日-1123年2月25日
第75代 崇徳天皇 すとくてんのう
在位
保安4年1月28日-永治元年12月7日
1123年2月25日-1142年1月5日
天変(てんぺん / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる異変)
厄運(やくうん / 不運から災難などが生じる)
「漢書」
保守社稷、安固後嗣也
天治 てんじ
保安5年4月3日
1124年5月18日
天治3年1月22日
1126年2月15日
3年
第75代 崇徳天皇 すとくてんのう
在位
保安4年1月28日-永治元年12月7日
1123年2月25日-1142年1月5日
鳥羽天皇からの譲位を受けて、第一皇子である顕仁親王(あきひとしんのう)が践祚し、崇徳天皇となったことによる改元
「易緯」
易緯(えきい)とは、古代中国の易(占い方法)の書物。
帝者徳配天地、天子者継天治物
大治 だいじ
天治3年1月22日
1126年2月15日
大治6年1月29日
1131年2月28日
6年
第75代 崇徳天皇 すとくてんのう
在位
保安4年1月28日-永治元年12月7日
1123年2月25日-1142年1月5日
天然痘(てんねんとう / 疱瘡)の流行
「河図挺佐輔(かとていさほ)」
黄帝修徳立義、天下大治
天承 てんしょう
天承 てんじょう
大治6年1月29日
1131年2月28日
天承2年8月11日
1132年9月21日
2年
第75代 崇徳天皇 すとくてんのう
在位
保安4年1月28日-永治元年12月7日
1123年2月25日-1142年1月5日
炎旱(えんかん / 日照り)
天変(てんぺん / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる異変)
「漢書」巻81 匡衡伝
聖王之自為、動静周旋、奉天承親、臨朝享臣、物有節文、以章人倫
長承 ちょうしょう
天承2年8月11日
1132年9月21日
長承4年4月27日
1135年6月10日
4年
第75代 崇徳天皇 すとくてんのう
在位
保安4年1月28日-永治元年12月7日
1123年2月25日-1142年1月5日
疾疫(しつえき / 悪性の流行病)
怪異(かいい / 現実にはあり得ないと思われるような不思議な事柄)
「史記」巻6
長承聖治、群臣嘉徳
保延 ほうえん
長承4年4月27日
1135年6月10日
保延7年7月10日
1141年8月13日
7年
第75代 崇徳天皇 すとくてんのう
在位
保安4年1月28日-永治元年12月7日
1123年2月25日-1142年1月5日
飢饉(ききん / 作物の不作により人々がうえ苦しむこと)
疾疫(しつえき / 悪性の流行病)
洪水
「文選」巻3 魯霊光殿賦
永安寧以祉福、長与大漢而久存、実至尊之所御、保延寿而宜子孫
永治 えいじ
保延7年7月10日
1141年8月13日
永治2年4月28日
1142年5月25日
2年
第75代 崇徳天皇 すとくてんのう
在位
保安4年1月28日-永治元年12月7日
1123年2月25日-1142年1月5日
第76代 近衛天皇 このえてんのう
在位
永治元年12月7日-久寿2年7月23日
1142年1月5日-1155年8月22日
辛酉革命(しんゆうかくめい / 60年に一度くる「辛酉」の年に起こるとされる革命を避けるため)
「典論」
典論(てんろん)とは、古代中国の三国時代の王朝「魏(ぎ)」の初代皇帝「文帝(ぶんてい)」が著した文学書。
礼楽興於上、頌声作於下、永治長徳、与年豊
「晋書」武帝紀
見土地之広、謂万葉而無虞、覩天下之安、謂千年而永治
康治 こうじ
永治2年4月28日
1142年5月25日
康治3年2月23日
1144年3月28日
3年
第76代 近衛天皇 このえてんのう
在位
永治元年12月7日-久寿2年7月23日
1142年1月5日-1155年8月22日
鳥羽天皇からの譲位を受けて、第九皇子である躰仁親王(なりひとしんのう)がわずか2歳で践祚し、近衛天皇となったことによる改元
「宋書」
宋書(そうじょ)」とは、古代中国の南北朝時代の南朝の国「宋(そう)」のことを記した歴史書。
以康治道
天養 てんよう
康治3年2月23日
1144年3月28日
天養2年7月22日
1145年8月12日
2年
第76代 近衛天皇 このえてんのう
在位
永治元年12月7日-久寿2年7月23日
1142年1月5日-1155年8月22日
甲子革令(かっしかくめい / 60年に一度くる「甲子」の年に起こるとされる革命を避けるため)
「後漢書」巻60 郎顗伝
此天之意也、人之慶也、仁之本也、倹之要也、焉有応天養人、為仁為倹、而不降福者乎
久安 きゅうあん
天養2年7月22日
1145年8月12日
久安7年1月26日
1151年2月14日
7年
第76代 近衛天皇 このえてんのう
在位
永治元年12月7日-久寿2年7月23日
1142年1月5日-1155年8月22日
ハレー彗星出現(はれーすいせいしゅつげん / 大な災害が起こる前触れとして不吉とされていた)
「晋書」巻46 劉頌伝
建久安於万載、垂長世於無窮
仁平 にんぺい
仁平 にんぴょう
久安7年1月26日
1151年2月14日
仁平4年10月28日
1154年12月4日
4年
第76代 近衛天皇 このえてんのう
在位
永治元年12月7日-久寿2年7月23日
1142年1月5日-1155年8月22日
彗星出現(すいせいしゅつげん / 大な災害が起こる前触れとして不吉とされていた)
風水害
「後漢書」巻61 孔奮伝
奮既立節、政貴仁平
久寿 きゅうじゅ
仁平4年10月28日
1154年12月4日
久寿3年4月27日
1156年5月18日
3年
第77代 後白河天皇 ごしらかわてんのう
在位
久寿2年7月24日-保元3年8月11日
1155年8月23日-1158年9月5日
火事
厄運(やくうん / 不運から災難などが生じる)
「抱朴子」内篇 巻8
其業在於全身久寿
保元 ほうげん
久寿3年4月27日
1156年5月18日
保元4年4月20日
1159年5月9日
4年
第77代 後白河天皇 ごしらかわてんのう
在位
久寿2年7月24日-保元3年8月11日
1155年8月23日-1158年9月5日
第78代 二条天皇 にじょうてんのう
在位
保元3年8月11日-永万元年6月25日
1158年9月5日-1165年8月3日
近衛天皇の崩御に伴い、異母兄である雅仁親王(まさひとしんのう)が践祚し、後白河天皇となったことによる改元
「顔氏家訓」文章篇
顔氏家訓(がんしかくん)とは、古代中国の家訓書。
深宜防慮、以保元吉也
平治 へいじ
保元4年4月20日
1159年5月9日
平治2年1月10日
1160年2月18日
2年
第78代 二条天皇 にじょうてんのう
在位
保元3年8月11日-永万元年6月25日
1158年9月5日-1165年8月3日
後白河天皇からの譲位を受けて、第一皇子である守仁親王(もりひとしんのう)が践祚し、二条天皇となったことによる改元
「史記」夏本紀
天下於是大平治
永暦 えいりゃく
平治2年1月10日
1160年2月18日
永暦2年9月4日
1161年9月24日
2年
第78代 二条天皇 にじょうてんのう
在位
保元3年8月11日-永万元年6月25日
1158年9月5日-1165年8月3日
戦乱(せんらん / 平治の乱)
「後漢書」巻110 辺譲伝
馳淳化於黎元、永歴世而太平
応保 おうほう
応保 おうほ
永暦2年9月4日
1161年9月24日
応保3年3月29日
1163年5月4日
3年
第78代 二条天皇 にじょうてんのう
在位
保元3年8月11日-永万元年6月25日
1158年9月5日-1165年8月3日
天然痘(てんねんとう / 疱瘡)の流行
「書経(尚書)」康誥
已女惟小子、乃服惟弘王、応保殷民
長寛 ちょうかん
応保3年3月29日
1163年5月4日
長寛3年6月5日
1165年7月14日
3年
第78代 二条天皇 にじょうてんのう
在位
保元3年8月11日-永万元年6月25日
1158年9月5日-1165年8月3日
天変(てんぺん / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる異変)
天然痘(てんねんとう / 疱瘡)の流行
「維城典訓」
長之寛之、施其功博矣
永万 えいまん
長寛3年6月5日
1165年7月14日
永万2年8月27日
1166年9月23日
2年
第78代 二条天皇 にじょうてんのう
在位
保元3年8月11日-永万元年6月25日
1158年9月5日-1165年8月3日
第79代 六条天皇 ろくじょうてんのう
在位
永万元年6月25日-仁安3年2月19日
1165年8月3日-1168年4月9日
天変(てんぺん / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる異変)
怪異(かいい / 現実にはあり得ないと思われるような不思議な事柄)
「漢書」巻64 王褒伝
休徵自至、壽考無疆、雍容垂拱、永永万年
仁安 にんあん
仁安 にんなん
永万2年8月27日
1166年9月23日
仁安4年4月8日
1169年5月6日
4年
第79代 六条天皇 ろくじょうてんのう
在位
永万元年6月25日-仁安3年2月19日
1165年8月3日-1168年4月9日
第80代 高倉天皇 たかくらてんのう
在位
仁安3年2月19日-治承4年2月21日
1168年4月9日-1180年3月18日
二条天皇からの譲位を受けて、第二皇子である順仁親王(のぶひとしんのう)がわずか7か月と11日の歴代最年少で践祚し、六条天皇となったことによる改元
「毛詩正義」
「毛詩正義(もうしせいぎ)」とは、古代中国の思想家 孔子(こうし)が編んだ(編集した)とされる中国最古の詩集「毛詩(もうし)」の注釈書。
行寛仁安静之政、以定天下、得至於太平
嘉応 かおう
仁安4年4月8日
1169年5月6日
嘉応3年4月21日
1171年5月27日
3年
第80代 高倉天皇 たかくらてんのう
在位
仁安3年2月19日-治承4年2月21日
1168年4月9日-1180年3月18日
六条天皇がわずか3歳で退位させられたことに伴い、叔父である憲仁親王(のりひとしんのう)がわずか8歳で践祚し、高倉天皇となったことによる改元
「漢書」巻64 王褒伝
天下殷富、数有嘉応
承安 じょうあん
承安 しょうあん
嘉応3年4月21日
1171年5月27日
承安5年7月28日
1175年8月16日
5年
第80代 高倉天皇 たかくらてんのう
在位
仁安3年2月19日-治承4年2月21日
1168年4月9日-1180年3月18日
日食(にっしょく)
天災地変(てんさいちへん / 自然界の変動によって起こる災害や異変)
「書経(尚書)」洛誥
王命我来、承安汝文徳之祖、正義、承文王之意、安定此民也
安元 あんげん
承安5年7月28日
1175年8月16日
安元3年8月4日
1177年8月29日
3年
第80代 高倉天皇 たかくらてんのう
在位
仁安3年2月19日-治承4年2月21日
1168年4月9日-1180年3月18日
天然痘(てんねんとう / 疱瘡)の流行
「漢書」
除民害安元元
治承 じしょう
安元3年8月4日
1177年8月29日
治承5年7月14日
1181年8月25日
5年
第80代 高倉天皇 たかくらてんのう
在位
仁安3年2月19日-治承4年2月21日
1168年4月9日-1180年3月18日
第81代 安徳天皇 あんとくてんのう
在位
治承4年2月21日-寿永4年3月24日
1180年3月18日-1185年4月25日
天変(てんぺん / 暴風雨・落雷・日食・月食・彗星など天空に起こる異変)
大極殿(だいごでん)の火災(安元の大火)
「河図挺佐輔(かとていさほ)」
治欽文徳、治承天精
養和 ようわ
治承5年7月14日
1181年8月25日
養和2年5月27日
1182年6月29日
2年
第81代 安徳天皇 あんとくてんのう
在位
治承4年2月21日-寿永4年3月24日
1180年3月18日-1185年4月25日
高倉天皇からの譲位を受けて、第一皇子である言仁親王(ときひとしんのう)が践祚し、安徳天皇となったことによる改元
「後漢書」巻83 逸民伝 台唔
幸得保性命、存神養和
幸いにも私の命は救われ、精神も保たれた
寿永 じゅえい
養和2年5月27日
1182年6月29日
寿永3年4月16日
1184年5月27日
3年
第81代 安徳天皇 あんとくてんのう
在位
治承4年2月21日-寿永4年3月24日
1180年3月18日-1185年4月25日
第82代 後鳥羽天皇 ごとばてんのう
在位
寿永2年8月20日-建久9年1月11日
1183年9月8日-1198年2月18日
飢饉(ききん / 作物の不作により人々がうえ苦しむこと)
三合の厄(さんごうのやく / 暦の上で一年に大歳・太陰・客気の三神が合することで大凶とし、この年は天災、兵乱などが多いとすることから「三合の厄」を避けるため)
戦乱
「詩経」周頌 載見篇
率見昭考、以考以享、以介眉寿。永言保之、思皇多祐
元暦 げんりゃく
寿永3年4月16日
1184年5月27日
元暦2年8月14日
1185年9月9日
2年
第82代 後鳥羽天皇 ごとばてんのう
在位
寿永2年8月20日-建久9年1月11日
1183年9月8日-1198年2月18日
壇ノ浦の戦いによる安徳天皇の崩御に伴い、異母弟である尊成親王(たかひらしんのう)がわずか4歳で践祚し、孝謙天皇となったことによる改元
「尚書考霊耀(しょうしょこうれいよう)」
天地開闢、元暦紀名、月首甲子冬至、日月若懸璧、五星若編珠
最後まで読んでいただきありがとうございました。
またいらしゃいな。